戦国時代の合戦や武将まとめ!名武将たちの逸話や武勇伝についても!

今回解説していくのは日本史の中でも屈指の人気を誇った戦国時代

 

この時代には色々な武将が活躍しましたが、今回はそんな戦国時代の

  • 戦国時代の合戦について
  • 戦国時代の武将とその武勇伝
  • 戦国時代の年表と出来事のまとめ

 

などなど戦国時代のことについて詳しく解説していきたいと思います!

戦国時代の合戦

関ヶ原の戦い
関ヶ原の戦い

戦国時代では関ヶ原の戦い桶狭間の戦いのように様々な戦いがありました。

しかし、なんでもありだと思われている戦国時代でしたが、実はある程度の戦のしきたりは存在していました。

 

まず、合戦の前には出陣式といって縁起のいい食事をしてゲンを担いでいました。

 

戦国時代における合戦はまず石を投げるところから始まります。

なんで石なのかというとやはり手頃に落ちていて、そしてある程度の殺傷能力があるのはこの当時は石ぐらいでしたから。

 

そしてある程度の石投げが済んだら遂に白兵戦が開始されます。

この当時白兵戦には槍や弓、戦国時代の後期には鉄砲が使われ、刀というものは最後のとどめしか使いませんでした。

 

そして勝敗がわかるところまできたらどちらからが退却して合戦は終了しました。

 

合戦が終わったら論功行賞の時間

討ち取った首の数が褒賞を決めますので、首実検という討ち取った首を検査することを終えて褒賞を出していました。

戦国時代で最も悲惨な戦い

どの状況を悲惨というのかは人それぞれだと思いますが、勢力自体が全滅するという悲惨さであれば織田信長による一向一揆討伐が一番かもしれません。

信長は長島や越前国で活発的に行われてきた一向一揆を勢力丸ごと全滅に追い込み一向一揆を消滅していきました。

 

戦の状況の悲惨さであれば秀吉による兵糧攻めが一番だと思います。

秀吉は織田家に反抗していた別所家の本拠地である三木城を2年包囲。

城内では飢え死をなんとかして凌ぐために亡くなった人の死骸をむさぼる有様だったとか。

 

さらに織田家と敵対していた毛利家の城の鳥取城では20日ぐらいしか貯蓄がなかった鳥取城を4ヶ月以上包囲。

城内は三木城の頃をはるかに凌ぐ悲惨さを誇ったそうです。

鳥取城が開城した時には痩せこけた毛利家の兵士の姿に秀吉側の武将は目も当てられたかったんだとか。

戦国時代の武将

本多忠勝
本多忠勝

戦国時代を彩ったものといえば様々な分野で活躍した武将ではないでしょうか?

 

例えば

  • 生涯の戦で無傷であった本多忠勝
  • 毛利家を支えた吉川元春小早川隆景

 

などなど様々な戦国大名には様々な戦国武将がいました。

 

武将というものは定義されてはいないのですが、だいたいは足軽をある程度まとめ上げている武士のことを武将と呼ぶんだそうです。

武将は戦の時には最前線で戦い、戦がない時には戦国大名に仕えていました。

最強の武将は誰か?

徳川家康
徳川家康

一口に最強の武将といってもどのような能力を強いというかによって答えは大きく変わります。

 

例えば

  • 戦の指揮で最強であれば上杉謙信武田信玄
  • 知謀で最強であれば毛利元就黒田官兵衛
  • 水軍であれば九鬼嘉隆村上武吉
  • 領地の統治力であれば北条氏康
  • 総合力で最強であれば最終的に戦国時代を終わらせた徳川家康豊臣秀吉

 

などが該当すると思いますね。

戦国時代武将の逸話や武勇伝

伊達政宗
伊達政宗

戦国時代の武将はとにかく豪快。

 

例えば東北の戦国大名伊達政宗は自身が恐れおののいた名物の骨董品を叩き割るなど自分が恐れたものをこの世からなくすというかなり面白いエピソードが残っているんだそうです。

 

また、織田信長の家臣である森長可は鬼武蔵という異名を取り、自ら先頭を立ち敵をなぎ倒していき、挙げ句の果てには甲州征伐の時は長可の下半身は返り血などで真っ赤に染まっており、主君である織田信忠から心配されたほどだったとか。

 

また、戦国時代というと現代とはかけ離れていると思うかもしれませんが、以外に現在でも使われている道具や食べ物が誕生したと言われています。

 

例えば徳川家康は76歳まで生きていたのですが、晩年には木で作った入れ歯やメガネを使っていたとされています。

武田信玄は温泉好きで信玄の本拠地である山梨県には石和温泉を始め、様々な秘湯があるんだとか。

また信玄はこの頃には似合わないであろう6畳の広さを誇る水洗式のトイレも開発しており、ここにこもって軍略を練ったり、今後のことを考えていたそうです。

 

入れ歯を入れてメガネをかけていてさらにトイレにこもっていると単なるおじさんの様な様な気がするかもしれませんがね。

 

さらに、上でもあげた骨董品クラッシャーである伊達政宗は料理男子としても一面を持っており、ずんだ餅や保存食として凍み豆腐などを開発したとされているのです。

 

こうしてみると戦国武将は戦などでいろいろ破天荒だと思いがちですが、以外に現代人の様な感覚を持ち合わせていたのかもしれませんね。

年別に見る勢力図

ここでは一般的に天下人と呼ばれる勢力の判断基準となる畿内での勢力を載せます。

 

1490年代: 細川京兆家

1500年代:細川京兆家

1530年代:細川京兆家 三好家

1550年代:三好家

1570年代:織田家

1590年代:豊臣家

戦国時代の大名

戦国時代には毛利家上杉家武田家の様に様々な戦国大名が群雄割拠していました。

 

江戸時代に入ると大名の基準は1万石以上を治めている武士となりました。

ですが、戦国時代では大名の基準は結構曖昧で、ある程度の権力を持っていたら大名と区分しても良いかもしれません。

 

ちなみに、戦国大名といっても色々なルーツがあり、

  • 一番スタンダードとされている越前の朝倉家や出雲の尼子家の例
  • 本当に下剋上によって成り上がった宇喜多家や豊臣家の例
  • 武田家や島津家のように元々は守護大名だったけど応仁の乱に戦国大名になった例

 

などかなりばらつきがありました。

戦国時代の主な出来事

戦国時代の始まりとされる応仁の乱以降、各地では元々領地を治めていた守護大名に反抗する勢力が次々勃発。

特に守護大名が京都にいるときに領地を治めていた守護代の地位は応仁の乱によって立場が向上して領地をそのままかっさらうことが多かった模様です。

 

戦国時代の初期は各地で戦乱が続いていましたが、1560年に桶狭間の戦いが起こって信長が台頭するようになると、一気に勢力を伸ばし1567年には京都に上洛。

10年にも及ぶ石山戦争を経て畿内を制圧して天下統一に王手をかけました。

 

しかし、1582年に本能寺の変が起こって信長が亡くなると、偉業を引き継いだ秀吉が1590年に天下統一を成し遂げました。

その後はしばらく安定していましたが、1598年に秀吉がなくなり、その2年後の1600年に関ヶ原の戦いが勃発。

 

勝利した徳川家康江戸幕府を開いて戦国時代を終結させました。

年表

1467年 応仁の乱が勃発し、戦国時代が始まる

1491年 北条早雲が堀越公方を滅ぼし伊豆を支配

1493年 明応の政変 ここから戦国時代ということもある

1495年 北条早雲が小田原城を占領

1497年 蓮如が石山本願寺を創建

1543年 種子島に鉄砲が伝来

1549年 フランシスコ・ザビエルがキリスト教を布教しに来日

1553年 第一次川中島の戦い 5回続く

1560年 桶狭間の戦い

1565年 永禄の変 足利義輝が暗殺される

1568年 織田信長が上洛

1570年 石山戦争勃発

1571年 信長による比叡山焼き討ち

1573年 信長が足利義昭を追放して室町幕府が実質的に滅亡

1575年 長篠の戦い

1580年 石山戦争終結

1582年 本能寺の変

1584年 小牧長久手の戦い

1585年 四国征伐・秀吉が関白と太政大臣に就任

1587年 九州征伐

1590年 小田原征伐 秀吉による天下統一

1592年 文禄の役

1597年 慶長の役

1600年 関ヶ原の戦い

1603年 徳川家康が征夷大将軍に就任

1615年 大坂の陣 豊臣家が滅亡して戦国時代が終結

 

それではまとめに入ります!

まとめ

  • 戦国時代の合戦はなんでもありの時代であったのにもかかわらず出陣式や首実検などのある程度ルールがあった
  • 戦国武将は戦国時代にあった様々な豪快な逸話がある一方で、現代にも通じる道具を使ったり、開発したりしていた
  • 戦国時代は最初の頃は本当に混沌としてきたが、1560年に織田信長が桶狭間の戦いで勝利すると信長・秀吉・家康などが中心となった
  • 戦国時代は一向一揆の殲滅や兵糧攻めなどの悲惨な戦も起こった

 

最後になりましたが、戦国時代はとても面白い時代で、さまざまな人を惹きつけるそんな時代であったと思います。

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