室町幕府の仕組みと場所や将軍について解説!幕府が滅亡した真実に迫る!

今回解説していくのは室町幕府

 

室町幕府といえば鎌倉幕府と江戸幕府の間にあってなんか地味なイメージがありますが、今回はそんな室町幕府について

  • 室町幕府の仕組みと役職
  • 室町幕府があった場所
  • 室町幕府の将軍一覧
  • 室町幕府の滅亡と滅ぼした人物
  • くじ引きで決まった将軍

 

などを解説していきたいと思います!

室町幕府の仕組み

元々鎌倉幕府は武士の憧れであり、その成立の経緯も御家人によるものでしたので室町幕府の仕組みはほとんど鎌倉幕府を踏襲しています。

そのため侍所・政所・問注所は継続して置かれることになります。

 

ただ、最大の違いがあってそれは、

  • 将軍を一番権力を持たせたこと
  • 管領を置いたこと

この2つです。

 

鎌倉幕府の時では将軍はお飾りの存在でその下の評定衆や執権が政治を動かしていきました。

ですが、室町幕府の場合だと一番偉いのが将軍とした上でその下に管領という将軍の仕事をサポートする役職もおかれました。

 

その他、鎌倉幕府には出張機関として置かれていた六波羅探題と似ている鎌倉府が関東・東北地方に置かれたりもしました。

場所

室町幕府が置かれたのは室町通にある室町第とよばれるところに置かれました。

元々幕府という名前の由来も将軍が住んでいるところからとられているので、だから室町幕府と呼ばれているのですよ。

 

また、残りの二つの幕府の場合だとこれまでは朝廷の影響を受けないように関東地方に置かれてきましたが、室町幕府はとある事情から京都に置かれることになりました。

地図

室町幕府の本拠地室町第は京都御所のすぐそばにありました。

南には北小通、東には烏丸通、西には室町通が通っておりまさしく京都の中心地におかれました。

役職

室町幕府には管領の他にもさまざまな役職がありました。

 

例えば室町幕府が京都に置かれたこともあって地方のことをあまり統治することができなかったことを受けて九州、東北地方に探題という地方官を置くようになります。

また、鎌倉府という出先機関も置かれ鎌倉公方という足利尊氏の息子が代々継いでいった役職をトップに室町幕府と同じような政治体制がとられるようになります。

 

さらに京都の警備を行なっている政所のトップ政所司には有力な4つの守護大名しかつけないとされています。

この4つの家のことを四職というのですが、管領につける3つの家とともにしっかりと押さえておきましょう。

  • 山名
  • 京極
  • 一色
  • 赤松

室町幕府を開いた人物

足利尊氏

室町幕府を開いたのは足利尊氏です。

 

元々は足利高氏として下野国の御家人として過ごしていたのですが、後醍醐天皇の討幕命令を受けて六波羅探題を落とし、後醍醐天皇の名前尊仁から一文字もらって尊氏となりました。

その後は光厳上皇から征夷大将軍に任命され、室町幕府を開いたのでした。

室町幕府の成立過程は?

室町幕府が起こった経緯はかなり複雑なものでした。

 

元々鎌倉幕府が滅んだ後は後醍醐天皇による建武の新政が行われるようになります。

ただ、この政治が武士のことをガン無視した政治だったため、御家人の間で不満が持たれるようになります。

 

そんな中で御家人によって担ぎ出された足利尊氏は後醍醐天皇と対立。

光厳天皇から征夷大将軍をもらって室町幕府をひらきましたが、それと同時進行で後醍醐天皇率いる南朝の対応に当たらなければなりませんでした。

 

さらにその上でなんと弟である足利直義とも対立。

いわゆる観応の擾乱が起きてしまい、最終的に鎮圧したものの、幕府の安定には時間がかかってしまいました。

それでも将軍を継いだ足利義詮や足利義満は南朝に対応しつつ徐々に守護大名をまとめていき、足利義満によって南北朝は統一されることになります。

 

ちなみに、将軍が室町を本拠地にしたのは足利義満の頃なんだとか。

室町幕府の将軍一覧

初代 足利尊氏(言わずと知れた初代将軍)

二代 足利義詮

三代 足利義満(室町幕府最盛期を築き上げた)

四代 足利義持(もみあげがすごい)

五代 足利義量

六代 足利義教(くじ引きで選ばれた将軍 政策が過激すぎて暗殺された)

七代 足利義勝

八代 足利義政(応仁の乱の原因)

九代 足利義尚

十代 足利義稙

十一代 足利義澄

十二代 足利義晴

十三代 足利義輝(松永久秀によって暗殺された)

十四代 足利義栄(室町幕府の将軍のくせに京都に入ったことない)

十五代 足利義昭(最後の将軍)

家系図

室町幕府の将軍は尊氏の家系から伸びていき、足利基氏が鎌倉公方、足利義詮が将軍家を継いで義量まで直系で続くことになります。

しかし、諸事情で義量が亡くなると、義教の代から伸びていき義政・義尚を経て戦国時代に突入。

この頃になると管領によって将軍が決められるようになり、最終的には足利政知の家系で落ち着くことになります。

くじ引きで将軍を決めた?

室町幕府の決まりの一つとして将軍になる人以外は基本的に出家するのが決まりでした。

そうしないと何かあった時に後継争いが起きて幕府が混乱してしまいますからね。

しかし、それが原因で跡継ぎがいなくなってしまったこともありました。

 

室町幕府第五代将軍である足利義量はお酒の飲み過ぎでダウン、そのまま亡くなってしまいます。

亡くなった後は仕方なく引退した第四代将軍であった足利義持が代行して将軍として頑張っていたのですが、年には勝てず亡くなってしまいました。

 

こうなると跡継ぎがいなくなったとおもいますが、幕府側は義満の息子を将軍にするために誰か1人だけを還俗させようとしたのでした。

でも、こんないきなり幕府が選定しても争いの種をまくだけですのでなんとか避けたい。

 

そこで幕府が思いついたのがくじ引きによる将軍の選定だったのです。

「ふざけてんのか!」と思うかもしれませんが、この時代のくじ引きは神様の前で厳粛に行われる儀式みたいなもので、さらに神頼みですから誰が将軍に選ばれようが文句が言えないというメリットがあったのです。

 

そのくじ引きによって選ばれた比叡山の義円は還俗して第六代将軍足利義教として政治を動かしていくのでした。

将軍の補佐役

室町幕府には執権と同じように幕府を補佐する役職がありました。

それこそがご存知かもしれませんが管領と呼ばれる役職です。

 

管領は幕府の筆頭として幕府をまとめる他に足利将軍の重要な儀式であったり、任官に関する仕事などを行っている非常に重要な役職でした。

今で言うところの内閣総理大臣ですかね。

 

しかし、この管領になれるのは

  • 斯波家
  • 細川家
  • 畠山家

 

しか慣れることができない名門出身の人のための専用職でもあったのです。

三代将軍

足利義満
足利義満

室町幕府最盛期の将軍といえばやはり第三代将軍足利義満ではないでしょうか?

 

足利義満は室町幕府最大の弱点でもある守護大名の強大化を危惧しており、次々と守護大名を討伐、最終的には将軍に権力が集中する形を作り上げ室町幕府の基礎を打ち立てました。

 

さらに足利義満は明との貿易も開始。

いわゆる勘合貿易と呼ばれる朝貢貿易で莫大な富を日本にもたらし、さらには最終的に朝廷のトップである天皇の父親の称号太上天皇の称号を死後に送られるまでになりました。

(ちなみに、太上天皇の称号は義満と仲が悪かった義持が辞退)

 

また、金閣寺を建てた人としても有名ですね。

室町幕府の滅亡の理由

室町幕府が滅亡した最大の原因は何といっても守護大名の強大化を止めることができなかったことにあります。

 

鎌倉幕府の場合だと御恩と奉公といって幕府と御家人の差別化が図られたり、江戸幕府の場合だと幕藩体制によって厳格にその立場が決められていました。

それに比べて室町幕府は守護大名を抑えるだけの制度を作っていませんでした。

応仁の乱以降は幕府を凌ぐ権力を持ち幕府に従わないいわゆる戦国大名が出現するようになり、最終的には滅亡してしまうことになります。

 

鎌倉幕府や江戸幕府は上の立場だったのに対して、室町幕府は横の立場であったことが滅亡する最大のきっかけとなったのではないでしょうか?

年号

室町幕府が開かれたのは1336年

鎌倉幕府が滅んでからわずか3年後のことなので武士たちが独自の政権を持つのを支持していたことがわかります。

 

ちなみに、滅んだ年は1573年

この年に信長の最大の強敵であった武田信玄が亡くなったことを受けて素早く滅ぼされました。

滅ぼした人物

織田信長
織田信長

室町幕府を滅ぼしたのは皆さんご存知そう織田信長ですね。

 

織田信長は1567年に最後の将軍足利義昭を擁立して上洛。

しかし、義昭は自分をないがしろにしている信長に嫌気がさしてしまい信長と敵対

最終的には信長を潰すために周辺と連絡を取り合っていわゆる信長包囲網まで作り上げてしまいました。

 

しかし、これを信長は黙っておらずすぐさま義昭の居城に侵攻。

義昭は見事に負けてしまい、京都から追放されてしまいました。

 

これがいわゆる室町幕府の崩壊です。

その後信長は室町幕府に次ぐ幕府を立てることなく天下統一に向けて邁進するのでした。

 

さて、まとめに入りましょう!

まとめ

まとめに入ります!

 

  • 室町幕府は1336年から1573年まで続いた幕府
  • 室町幕府は鎌倉幕府と似ている仕組みとなっていたが、管領という補佐の役職が置かれていた
  • 室町幕府は室町通のすぐに屋敷が置かれていたから名付けられた
  • 室町幕府は織田信長によって滅ぼされた
  • 室町幕府には家督を継ぐ人以外は出家するということになっており、それが原因で第6代の将軍を決める時はくじ引きで決めた

 

最後になりましたが、室町幕府は安定していた時代が少なく、戦国時代へとつながる原因も作ってしまいます。

しかし、この室町幕府の失敗がのちの江戸幕府の反面教師として活かされていると考えるとあながち全て悪かったわけではなかったんでしょうね。

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