今回解説していくのは戦国時代の始まりとなった応仁の乱!
10年も続いた応仁の乱によって京都はめちゃくちゃになってしまいましたが、今回はそんな応仁の乱について
- 応仁の乱が起きた場所や地図
- 応仁の乱の勢力図と相関図
- どうしてグダグダになってしまったのか?
- 応仁の乱による京都の被害
- 応仁の乱の裏切り
などなど、ややこしいと言われている応仁の乱について詳しく解説していきたいと思います!
目次
応仁の乱とは?わかりやすく解説!
応仁の乱とは、1467年から1477年まで続いた室町時代最大の内乱のことです。
この応仁の乱は、元々は有力守護大名であった畠山家の家督争いだったのですが、そこから将軍家の跡目争いや細川家と山名家の覇権争いも交わったことによって一気に複雑化しました。
10年にも渡るこの内乱で京都は壊滅。
守護大名は著しく没落して戦国時代が始まる決起となりました。
場所
応仁の乱が起こったのは上御霊神社という神社から始まったのですが、それがいつしか両軍の大将である細川家と山名家の館の目の前で争いが勃発するようになりました。
もちろんこの両家は京都のど真ん中にあったためもちろんその一帯は全て戦火に巻き込まれてしまいました。
地図
応仁の乱の主戦場となったのは今の上京区あたり。
昔は上京区の今出川通あたりに花の御所という将軍が住んでいる御所があって、その辺りに全軍20万人ちょいが争っていたんだとか。
もちろん、そんな状態になって京都が無事なわけありません。
結果
先に結果をいうのであれば、両軍ボロボロの状態で引き分けに終わりました。
なぜ決着がつかなかったのかは後で説明しますが、元々この応仁の乱自体が決まった目的が持ち合わせておらず、各守護大名勝手に争っているとんでもない状態だったのです。
これが応仁の乱を理解しづらくしてしまう大きな要因となるのですが、例えば畠山家の争いなら畠山家同士が争い、斯波家の争いなら斯波家が争い、細川家と山名家なら両軍が争うというものとなっていたのでした。
勢力図
応仁の乱の勢力図なんですが、細川勝元率いる東軍が16万人、山名宗全率いる西軍が11万人、合計27万人が京都にて争いました。
たった一回の内乱で27万人も集めて戦争を行なったのは、後にも先にもこの応仁の乱ぐらいです。
有力守護大名たちは何故かこの当時後継争いを行なっている人がほとんどであり、畠山家や斯波家を始め後継候補がそれぞれ東軍か西軍につくという状態だったり、山名家とは元々ライバルだった赤松家が東軍についたり、細川家とは元々ライバルであった大内家は西軍についたりするなど跡目争い以外の理由もありました。
人物相関図
<将軍家>
東軍 足利義政・足利義視
西軍 日野富子・足利義尚
<大将>
東軍 細川勝元
西軍 山名宗全
有力守護大名
<東軍>
- 畠山政長
- 斯波義敏
- 赤松政則
- 京極持清
<西軍>
- 大内政弘
- 畠山義就
- 斯波義廉
- 一色義直
- 京極政光
もちろん、ここで書いた人は主な人物でして他にもいろんな守護大名が参加していました。
応仁の乱はなぜグダグダ長く続いたのか?
応仁の乱がグダグダになった理由は、3つの対立構造があったからでした。
それを一から全部紐解いていきましょう。
畠山家のお家騒動
応仁の乱の直接の原因は将軍の後継者争いだったのですが、それ以前から畠山家では畠山持国という人がいきなり跡継ぎを畠山持富から畠山義就に変更したことによってお家騒動が勃発します。
将軍である足利義政は畠山義就を支持していたのですが、細川勝元が持富の家系の方を優先して最終的に畠山政長という人を畠山家の当主にさせてしまいます。
もちろん義就からしたらこんなこと納得できません。
義就は当時細川勝元と仲が悪くなっていた山名宗全に接近して、文正の政変という政変のどさくさに紛れてなんとか畠山家の当主に返り咲きました。
そのためいつしか、義就は山名宗全側、政長は細川勝元側につくことになり、この畠山家の争いが応仁の乱の導火線へと変わっていったのです。
将軍家の後継者争い
もう一つはみなさんご存知の通り将軍家の後継者争い。
当時室町幕府は足利義政が務めていたのですが、この人がまぁ、政務に全く興味がない。
さらに義政は文芸の方が好きだった模様で、さっさと将軍職を明け渡して引退しようと計画を立てていきます。
しかし、なかなか子供ができず将軍職をやめることができない。
そこで義政は自分の弟の足利義視を将軍として迎えようとしたのでした。
義視は最初は戸惑いましたが、何としてでも義視を将軍にしてやるという誓約書も提出したため義視もこれを受諾。
後見人に細川勝元がつき、こうして跡継ぎ問題は解消されたかのように見えましたが、そうはならないのが日本史の常。
日本史お決まりのパターン『後継者を決めた瞬間子供が誕生する法則』がここで発動してしまい、正室日野富子の間に子供が誕生。
やはり母親ですから自分の子供を将軍にしたいものですので、義政に対して子供に将軍職をつかせるように願い出ます。
さらに、山名宗全にも後見人になることを要請して、義視 vs 日野富子 & 義尚 の構図が完成。
さらにそれぞれの後ろに細川勝元と山名宗全かついていたこともあり、これが爆弾のごとく問題が膨れ上がっていくことになるのでした。
こうして畠山家のお家騒動と将軍家の跡継ぎ問題か絡み合って起こったのが応仁の乱だったのです。
大内家の参戦
さらに応仁の乱をグダグダにした理由といえばといえばやはり大内家は欠かせません。
元々、応仁の乱自体は将軍が後ろ盾についていた東軍が圧倒的に優勢でしてそのままいえばすぐに終わるような内乱でした。
しかし、大内政弘が西軍についたことが原因で戦線は膠着。
さらに、大内家の参戦理由が瀬戸内海の制海権の確保という後継者争いとは全く関係のない理由があったことがあったのも応仁の乱をグダグタにしてしまいます。
例えばいざ戦争を終わらせようとしても大内家と細川家の問題が解消されない限りは戦を終わらせることはできません。
さらに、畠山家をはじめとした守護大名同士の争いも発展したこともあり、それぞれの大名がそれぞれの理由で争い出すという無茶苦茶な状態に突入。
こんな理由があったから細川勝元と山名宗全が亡くなっても、将軍がなんだかんだで足利義尚に決まっても応仁の乱は終わることができなかったのです。
京都全体が焼け野原になった?
京都の人に聞くと、先の大戦は応仁の乱のことを指すというのが都市伝説としてまことしやかに囁かれるようなんですが、実は本当にそれぐらいのレベルのことをやってのけたのが応仁の乱だったのです。
まず、応仁の乱によって上京区を始め全ての地域ば焼失。
花の御所はおろか、天皇がお住まいになっている御所も燃えてしまい天皇が一時避難するレベルだったんだとか。
さらに、戦いの激戦地となった相国寺を始め、天龍寺・清水寺・伏見稲荷大社・金閣寺・仁和寺などは全焼。
京都の街は兵士たちの略奪行為によって公家や町人たちは京都から脱出するほど悲惨な状態だったそうです。
ちなみに、公家たちが地方に逃げたことによって地方に京都の文化が広まり小京都と呼ばれる町が発展する副作用もあったんだとか。
特に大内家の本拠地である山口は『西ノ京』と呼ばれるぐらい発展したそうです。
東軍と西軍の間で寝返りや裏切りがあった?
応仁の乱で寝返りや裏切りはもちろんありました。
なぜなら、そもそも両軍の境というものが応仁の乱には無かったからです。
例えば将軍家だったり畠山家などであれば後継争いというものがあったのですが、大内家のように日明貿易の覇権争いで参加した大内家のような守護大名もいれば、お家再興のために参加した赤松家のような守護大名もいました。
一応、最初の頃は将軍足利義政と義視をバックにつけている細川家が東軍、日野富子と足利義尚をバックにつけている山名家が西軍となっていたのですが、応仁の乱が経過していくうちにいつのまにか山名家が足利義視をハックにつけた東軍に、細川家が義尚をバックにつけた西軍になってしまうというあべこべ事態が発生。
ここまでくるともはや「あれ?俺たち何のために戦っているのだろう?」という風に守護大名たちは感じ始めたり、守護大名の下についていた守護代が調略によって裏切ったり(例:朝倉家)するなどもはやどっちがどっちについているか訳が分からなくなっていたんだとか。
つまりは『上の神輿はもはやどうでもいい』ということだったんですね。
応仁の乱を描いたおすすめの本
応仁の乱は内乱自体がめちゃくちゃなこともあり、かなり理解するのが難しい部類に入るのですが、そんな人でもオススメなのが、呉座勇一氏の著書である応仁の乱です。
この応仁の乱の本は応仁の乱の元となった畠山義就を主軸において展開しており、何で応仁の乱がグダグダになってしまったのかを詳細に説明してくれるまさしく初心者向けの本かと思います。
目立った戦果も上げられず、最終的には戦国時代に突入していくきっかけとなった応仁の乱。
是非とも読んでみてはいかがでしょうか?
さて、まとめに入ります!
まとめ
- 応仁の乱とは1467年から1477年まで続いた内乱
- この内乱によって京都はほとんど壊滅した
- 応仁の乱は守護大名の後継争いもあってか家が分裂して参加する状態となった
- 応仁の乱によって京都が燃えると各地に公家たちが避難して地方に京都の文化が広まった
- 応仁の乱は守護大名たちが様々な理由で戦っていたこともあり収拾がつかなくなってしまった
最後になりましたが、この応仁の乱があったことによって日本は戦国時代へと突入。
みなさんご存知内乱の時代に突入していくことになりました。
今だからこそそんな戦国時代の決起となった応仁の乱について理解をするべきなのではないのでしょうか。