今回解説していくのは奈良時代!
奈良時代といえば平安時代よりもマイナーで覚えにくい時代でもありますが、今回はそんな奈良時代について
- 奈良時代の文化や万葉集などについて
- 奈良時代の服装や食事などの生活について
- 奈良時代の出来事や年表
- 奈良時代の歴史的特徴と在位していた天皇について
などを解説していきたいと思います!
目次
奈良時代の文化
奈良時代には、この頃中国大陸で最盛期を迎えていた唐に対して使節を送っていたため(遣唐使)、中国の文化に色濃く影響を受けた天平文化が華開きました。
例えば、都である平城京は唐の都である長安の様に条坊制と呼ばれる碁盤の目のような区割りがなされていました。
また、唐から仏教の色々な文化も伝来。
鑑真が建てた唐招提寺や、東大寺のような仏教建築が日本で花開きました。
興福寺八部衆立像(興福寺の阿修羅像はこれの一部)や奈良の大仏などは有名ですね。
また、奈良時代には仏像は金属で作るだけではなく、木を芯として周りに粘土を固める塑像や、型の上に布を巻きつけてそこから漆を塗りたくる乾漆像などの簡素な仏像も作られていだのですよ。
和歌集について
奈良時代に入ると、日本人は色々な思いを和歌にのせて伝えようとし始めます。
そんな中、奈良時代中期ごろになるとその色々な思いが込められた和歌を編纂する動きが出始め750年ごろに日本初の和歌集が作られました。
これがいわゆる万葉集という和歌集です。
万葉集には平安時代に制定された古今和歌集のように貴族だけの歌が乗せられているのではなく、関東地方に住んでいた人が詠んだ東歌や、防人と言って太宰府周辺の警護をしていた人達が詠んだ防人歌など色々なタイプの和歌がありました。
ちなみに、新元号である令和はこの万葉集の「巻五 梅花の歌三十二首併せて序」の一節によってつけられているのですよ。
奈良時代の生活
奈良時代の生活は貴族と一般人でかなり違っていました。
貴族の場合は税金は全額免除され、さらには農民の税金によって生活しており、朝廷の中で一番偉い太政大臣は今の価格にすると6億円もの年収をもらっていたんだとか。
そして貴族達はその潤沢な資金を使って天皇から与えられた土地に豪勢な屋敷を構え、様々な料理を食べることができたのです。
その一方で農民の方はというと、収穫したお米の2割を租として収める他に、布を納める庸、布や特産品を送る調などの色々な税金がかけられ、さらには運が悪いと防人といって北九州の警護を命じられることもあり、農民の生活は劣悪なものとなっていました。
農民は弥生時代と同じような竪穴式住居に住んで、一日一回アワやキビなどの雑穀を主食としてなんとか生きるか死ぬかのあたりをさまよっていたのです。
服装
奈良時代の貴族達は衣服令といって朝廷から着る衣類などを厳しく決められていました。
例えば、自身のランクによって着る服はだいぶ変わりましたし、儀式の時に着る礼服や仕事をする時に着る朝服など色々場合に合わせて着替えていたそうな。
また、服の色もランクごとに分かれていました。
まぁ、服は人間が一番目につくものですし、自身のランクを知らしめるのには好都合だったのかもしれませんね。
ちなみに、女性は背子と呼ばれる上着を着て、下半身には裳と呼ばれるスカートを履くなど唐の服装の影響をかなり受けていました。
一方の庶民の方はというと古墳時代と同じような服を着ていたそうで、さらには貧しい農民達はその服もボロボロになっていたそう。
この頃は山上憶良の貧窮問答歌に細かく記されています。
食事
奈良時代は食事も貴族と庶民のでかけ離れていました。
貴族達は全国から調として届く特産品が毎日食卓に並び、お米、鴨肉、漬物など栄養バランスが取れた贅沢な食事を楽しんでいたのです。
その一方で農民の方はというと食べるのがやっと。
一日一食か二食ぐらいとなっており、そのメニューも玄米と青菜の吸い物のみというなんともかわいそうな食事を食べていたんだとか。
奈良時代は西暦何年?
奈良時代は平城京に遷都された710年から平安京に遷都された794年の間の84年の間のことを指します。
ちなみに、朝廷は平安京の前に長岡京という都に遷都していたこともあるため、長岡京に遷都された784年を奈良時代の終わりと捉えることもあります。
奈良時代の出来事
奈良時代には天皇中心の国家づくりが行われていきましたが、その一方で仏教の力を使って国を治めようとしました。
これを鎮護国家というのですが、これを推し進めたのがみなさんご存知聖武天皇です。
聖武天皇は仏教を全国に普及させるために人気のあった僧侶の行基を全国に行脚させて大仏殿の建立の資金を調達させました。
そして752年に東大寺の大仏殿は完成し、全国には国分寺や国分尼寺など国一つずつに国府と同じように設置されました。
その一方で農民の生活は苦しくなる一方。
これに悩んだ聖武天皇は三代限定で開墾した土地を自分のものにすることができる三世一身法というものを制定。
さらに743年には墾田永年私財法を制定して開墾した土地は全て自分のものにすることができるようになりました。
こうしてなんとか農民への対処は行われていたのですが、聖武天皇がなくなると朝廷では勢力を伸ばしていた藤原氏と橘氏の対立が激化。
藤原広嗣の乱や橘奈良麻呂の乱などの反乱もちょくちょく起こしていたのです。
さらに、のちに紹介することになる道鏡などの仏教勢力も政治に介入することになり、国の政治は混乱状態となりました。
この状態に嫌気がさした第50代天皇である桓武天皇は仏教勢力から離れる決意をして長岡京に遷都。
その後平安京に遷都して奈良の仏教勢力から離れることに成功したのです。
年表
710年:平城京に遷都 (奈良時代の始まり)
718年:養老律令が完成 (律令が整えられました)
723年:三世一身法の制定 (開墾した土地は三代自分のものにすることができました)
729年:長屋王の変 (長屋王が謀殺されてしまい、藤原氏がここから躍進し始めます)
739年:藤原広嗣の乱
743年:墾田永年私財法の制定 (開墾した土地は全て自分の土地にすることができるようになり、荘園制が始まることとなりました。)
752年:東大寺の大仏殿完成
754年:鑑真が6度目の航海で来日
764年:藤原仲麻呂の乱
784年:桓武天皇が長岡京に遷都
794年:桓武天皇が平安京に遷都 (奈良時代が終わる)
奈良時代の政治
奈良時代に入ると少し前に制定された大宝律令や養老律令など律令を使って天皇中心に行われていました。
いわゆる律令国家ですね。
さらに、奈良時代は仏教に対して手厚く保護する時代でもありました。
しかし、この朝廷の仏教に対する熱い保護がとんでもないことを招いてしまいます。
聖武天皇が亡くなると朝廷では藤原不比等の長男の藤原武智麻呂の息子である藤原仲麻呂が台頭。
長年の敵であった橘氏を橘奈良麻呂の乱でボコボコにすると淳仁天皇という天皇を擁立して天皇を凌ぐ権力を手に入れます。
しかし、朝廷はこれが気に入らない。
特に、聖武天皇の娘であった上皇である孝謙上皇は藤原仲麻呂をどんどん毛嫌いしていくようになりました。
さらに、この頃になると孝謙上皇は病を祈祷してくれた道鏡というお坊さんにゾッコン。
これをチャンスとみた道鏡は藤原仲麻呂を排除しようとどんどん孝謙上皇を虜にしながら、排斥していきます。
藤原仲麻呂は道鏡を打倒しようと764年に藤原仲麻呂の乱を起こすのですが敗北。
藤原南家の一族はことごとく殺されてしまい、淳仁天皇も淡路に流され淡路廃帝と呼ばれることとなりました。
ちなみに、天皇が流刑になるのはこの時が初めてだったそうな。
その後、朝廷では孝謙上皇は重祚して称徳天皇として再び即位。
765年には道鏡もお坊さんとしては異例中の異例である太政大臣禅師として就任。
さらに、全国の八幡宮の総本社である宇佐八幡宮から「道鏡を天皇にするべし」というご神託が下るという一時は皇族以外の天皇が誕生しそうになったこともあったとか。
しかし、この宇佐八幡宮神託事件は藤原百川や和気清麻呂などが妨害したことによって失敗。
さらに、称徳天皇が亡くなったことによって道鏡は下野に失脚したことによって一連の政治的混乱は治まることとなりました。
しかし、この道鏡の例を学んだ朝廷は仏教による鎮護国家ではなく、仏教勢力から決別する道を選ぶようになりました。
これは光仁天皇、そしてその息子である桓武天皇に繋がっていき、平安京遷都へと動き出していったのです。
天皇
奈良時代の天皇は古い順から
- 元明天皇
- 元正天皇
- 聖武天皇
- 孝謙天皇
- 淳仁天皇
- 称徳天皇
- 光仁天皇
- 桓武天皇
この8人がいます。
一番覚えて欲しい上に、一番メジャーといえば聖武天皇と桓武天皇なんですが、奈良時代は天皇中心の時代でもありましたので日本史でいい点数を取りたいのであればこの8人を全員覚えておいたほうがいいですよ。
奈良時代の特徴
奈良時代は
- 天皇中心の中央集権国家の設立
- 仏教による鎮護国家を目指すための政治
このようなことが行われていました。
この時はあまり文化も発展していない時代ですので災害や疫病などは全て仏様によって収めようとしていたのです。
しかし、これが道鏡の政治介入などの混乱を招いてしまい、784年に長岡京に、794年には平安京遷都することとなり、奈良時代は終焉しました。
それではまとめに入ります。
まとめ
まとめに入ります!
- 奈良時代は710年から794年の84年間の時代のこと
- 奈良時代の生活などは貴族などが豪華なのに対して農民は困窮した生活を強いられていた
- 奈良時代は天平文化と呼ばれる文化が芽生え、唐を中心とした文化が栄える一方で、仏教建築や仏像の造成などが行われた
- 奈良時代では天皇中心の国家づくりが行われたが、その一方で藤原氏と橘氏の勢力争いや、道鏡などの政治的介入が行われた
- 奈良時代の天皇は元明天皇・元正天皇・聖武天皇・孝謙天皇・淳仁天皇・称徳天皇・光仁天皇・桓武天皇
最後になりましたが、奈良時代は日本の歴史の中では一番落としやすい地味な時代です。
だからこそしっかり覚えて日本史のテストでいい点を取りましょう!