今回解説していくのは聖徳太子!
最近ではいたかいなかったのかで色々論争が起きているみたいですが、今回はそんな聖徳太子について
- 聖徳太子は実在したのか?
- 聖徳太子が教科書から消えた理由
- 聖徳太子の伝説や謎
- 聖徳太子が残した予言
などなど聖徳太子に関係することについて解説していきたいと思います!
目次
聖徳太子は実在したのか?
昔だったらお札の肖像画で馴染みが深く日本史の中でも屈指の知名度を誇る聖徳太子。
しかし、今では聖徳太子はいなかったのではないか?と言われているんです。
結論から言いますと「聖徳太子という人は存在していません」
しかし「聖徳太子と呼ばれるようになった人は存在していました」
その呼ばれるようになった人がいわゆる厩戸王(うまやとおう)なんですね。
これはどういうことかというと聖徳太子が生きていたの間の記録というものがほとんどないというところにあります。
聖徳太子が生きていた飛鳥時代のことを確実に記録しているのは中国の史書かのちに作られた日本書紀のみ。
しかもその日本書紀もかなり天皇を賛美した内容だったそうで、もしかしたら厩戸王という人物に色々な伝説や事業を盛り込んで作られたのが聖徳太子なのではないかと推測されているのです。
ちなみに、聖徳太子が初めて文面で出現したのは奈良時代に作られた日本初の漢詩集『懐風藻』の序文なんだとか。
そのため確実にいたとは言い切れないということが聖徳太子はいなかったという説につながっていったということなんです。
聖徳太子が実在しなかったと言われる理由は?
聖徳太子という人物は日本史のヒーローとして位置づけられています。
ですが、どうしてそういう風に表され、今ではいなかったと言われるようになったのでしょうか?
実はそこには聖徳太子が生きていた頃に強大な権力を誇っていた蘇我馬子などの豪族の存在がありました。
この頃蘇我馬子というのは天皇を凌ぐ権力を誇っていた豪族であり、この頃の政治は天皇と豪族たちで行われていたのです。
しかし、時代が降り、天武天皇の頃になるとこれまでのように豪族たちと政治するのではなく、天皇中心の政治体制が敷かれていくことになります。
そうなると天皇の権威を高めるために天皇の親族や歴史は素晴らしいものだと記すようになって、その一環として聖徳太子という人物像が作られていったのではないかという説があるのです。
あの有名な肖像画は聖徳太子ではない?
今見ている聖徳太子は昔の一万円札の肖像画になっていたこともあってかなり有名なものとなっています。
ですが、実は最近ではこの肖像画は聖徳太子本人ではないというのか有力となっています。
源頼朝などのように今の技術や証拠が発展していって昔から肖像画として信じられていたものが違うという例はありましたが、聖徳太子の場合はなんで違うということになったのでしょうか?
その証拠となっているのが聖徳太子でも一番特徴的であるあのしゃく。
しゃくというのは簡単に言えばカンペみたいに儀式の行程とかを書き表しているもの。
このしゃくが日本に伝来したのが現在の調査によって大化の改新の頃に伝来していたということが明らかになりました。
そうなると大化の改新前に亡くなっている聖徳太子がしゃくを持っていることはおかしいという風になります。
それに伴ってあの肖像画はおかしいというようになったのです。
聖徳太子が教科書から姿を消す?
昔では教科書の最初ぐらいに書かれていた聖徳太子なんですが、最近では聖徳太子を教科書では明記しないという風に変わってきています。
そもそも、日本史の内容を含めて教科書で表す内容は全て文部科学省というところで記された学習指導要領にのっとって作られているんです。
そのため、文部科学省は「これはちょっと変更ね」と言われたらそれを変更しなければいけないとされているのです。
聖徳太子もその一環として聖徳太子と教えられていたところを小学校では聖徳太子(厩戸王)、中学校・高校では厩戸王と表記することになりました。
しかし、これでは色々おかしいだろという国会からの指摘を受けて、聖徳太子については厩戸王という風に教えつつ、古事記や日本書紀を通じて今では聖徳太子と呼ばれるようになったと教えるという形で収まったのでした。
歴史というものは新資料の発見や新事実が判明するとともに変わるのが普通ですので(例:鎌倉幕府の成立年)これに関してはどうしようもないのが実情なんですよね。
聖徳太子の伝説や謎
聖徳太子といえば
- 『十人の話を一度に聞けた』
- 『馬に乗ったら空を飛べた』
だったりとかなり超人的な伝説が数多く存在しています。
どうしてそんなに伝説が多く残るような人物として描かれたのでしょうか?
それには実は奈良時代に入ってからの聖徳太子の信仰が深く関わっていました。
奈良時代に入ると日本書紀が執筆されるなどかなり天皇を賛美するようになり、その一環で聖人としての聖徳太子が誕生していきました。
その聖人化していく最中、聖徳太子は例えば
- 「観音菩薩の化身」
- 「日本の釈迦」
などと言われるようになっていきました。
そうした聖人化していくうちに上にも書いたような聖徳太子の伝説が生まれていったのではないかと思います。
聖徳太子は本名じゃない?
今では残念ながら聖徳太子という名前では習いません。
というのもこの聖徳太子という名前は彼が亡くなった後に贈られた諡(おくりな)なんです。
たとえば明治天皇だったり昭和天皇と呼ぶように基本的には○○天皇と呼ぶと思いますが、実はこの○○の部分が諡なんです。
さて、上にも書いた通り、聖徳太子という人は存在していた時には厩戸王か厩戸皇子と呼ばれていたんだとか。
ちなみに、なんで彼が厩戸(馬小屋)と呼ばれるようになったのかはまた後ほど。
聖徳太子は空を飛んだという伝説がある?
世界の歴史には色々な空を飛んだことに関する逸話がありますが、聖徳太子もそれの例外に外れることなく存在しているそうです。
聖徳太子はとある日全国各地からいい馬を集めてその中から自分の好みに合った馬を選んだそう。
そして聖徳太子がその馬に乗るとたちまち空を飛んで富士山や信濃を周回したんだとか。
まぁ、馬が空を飛ぶことなんて現実ではあり得ませんので、これは聖徳太子をヒーローにする一環で作られた伝説の一つと考えてください。
聖徳太子とイエス・キリストとの関係は?
聖徳太子とイエス・キリスト。
一見全然関係ないと思うのですが、実は一つ関係性があるのですよ。
その内容が馬小屋で生まれたというもの。
さらに、聖徳太子の誕生も日本書紀には「聖徳太子の母が馬小屋を真ん前を通っていたら突然子供を出産した」という記述があるんだとか。
まさしく馬鹿馬鹿しい内容ですが、キリストも受胎告知という形を経て馬小屋で生まれたとされているため、ある程度の影響を受けたのではないかと推測されています。
聖徳太子の2019年4月30日の恐すぎる予言とは?
聖徳太子の伝説は聖人化していく中で作られていったものだとしていますが、それとはまた別の聖徳太子にまつわる話があります。
それが聖徳太子が書いた『未来記』と呼ばれる本に抱えれている予言なんです。
予言なんてノストラダムスの例もありますし、興味本位程度で信じるべきなんですが、この未来記の中には
- 平安京への遷都
- 1853年の黒船来航
- それからの東京奠都などの首都移転
- 第二次世界大戦の結果
などを見事に当てているのです。
その中の一つに「東の都に移転してから200年後クハンダがやってきて東の都は親と7つの子供に分割されるであろう」とされるのです。
その予言が当たるのが2019年4月30日。
結果的にクハンダは来る様子はありませんでした。
ですが、最近では南海トラフ地震が近いうちに起こるとか、4月30日に天皇が譲位するなどいろいろなことがありました。
なので、一概には間違いとかいえないんですがどうでしょうかね?
2030年世界は滅亡する?
さらに聖徳太子の予言は続きます。
それは2030年に「九大を損じ、先ず日沈み、万乗おとろう」と書かれているそうで、全ての要素が消えて無くなり、太陽が消えていろんなものが衰退すると書かれています。
まぁ、予言ですので冗談半分で信じればいいのではないのでしょうか?
それではまとめに入ります!
まとめ
それではまとめに入ります!
- 聖徳太子という人物はいないが、それのモデルとなった人物はいた
- 聖徳太子は日本書紀が書かれるときから神格化されていくようになった
- 聖徳太子はイエスキリストと同じ馬小屋で生まれた
- 聖徳太子は2019年にクハンダがやってくる予言をして、さらに2030年に世界は滅亡するという予言も残した
最後になりましたが、聖徳太子という人物はかなり謎が深い人物であり、今でも彼に関する研究が行われています。
それほど彼は日本の歴史にとって重要な人物だったことが伺えるのですね。