平将門の首塚は日本三大怨霊の1つ?将門の一生とまつわる伝説や祟りについて

今回解説していくのは平将門

 

平将門といえば平将門の乱を起こし、そして死後には怨霊となったイメージが強いのですが、今回はそんな平将門について

  • 平将門の経歴
  • 平将門の怨霊と祟りについて
  • 平将門とゆかりの神社
  • 平将門をモデルにした作品

 

など彼について詳しく解説していきたいと思います!

平将門とは?

平将門
平将門

平将門は桓武平氏の棟梁である平良将の息子として生まれ関東地方を中心に勢力を広げた武士です。

後に平氏内での争いに巻き込まれ、新皇と名乗り平将門の乱を起こしましたが、朝廷から討伐を受け討死しました。

経歴と年表

平将門は桓武天皇の息子である平高望の三男である平良将の息子として生まれました。

生まれた年は884年説と903年説がありますがよくわかっていません。

 

平高望という人物は元々は皇族だったのですが、臣籍降下して平という氏が与えられ、そして関東地方に下ってきて武士となった人物で平将門は彼が基盤としていた関東地方を中心として治めていました。

しかし、武士というのはこの頃はかなり身分は低く、藤原忠平を主君とはしたもののその身分はないにも等しい状態でした。

 

さらに父がなくなると父の遺領を巡って叔父であった平国香との抗争に突入。

最終的には平国香を討ち取って朝廷の裁判にも勝利しましたが、この争いが遠因となって平将門の乱へとつながっていくことになるのでした。

 

939年、常陸国(茨城県)の国司が襲撃を受ける事件が起こると平将門はこの争いを鎮圧。

しかし、このことが巡りに巡って平将門の地位が上がり、いつしか常陸国だけではなく関東地方全体を治める領主へと変貌を遂げるようになりました。

しかし、翌年940年に平将門が朝とは違う新しい天皇である新皇と名乗ると朝廷はこの動きを朝廷に対する謀反として挙兵

 

藤原秀郷と源経基ら率いる討伐軍が関東地方に向かうと平将門は必死に戦うのですが多勢に無勢。

戦っている最中に飛んできた矢が額に命中してあえなく討ち死することになったのです。

年表

平良将の息子として生まれる
918年 藤原忠平に仕える
935年 叔父の平国香との争いに勝利
938年 将門軍が平貞盛を破る。
939年 関東地方一帯を手に入れて新皇と自称する
940年 平貞盛・藤原秀郷連合軍に敗れて戦死

家系図

平将門の父である平良将は桓武平氏の祖である平高望の息子として生まれました。

その高望の祖父は桓武天皇となっており、将門は天皇の子孫であるということがわかります。

娘について

平将門には五月姫春姫という娘がいました。

 

長女である五月姫は平将門の乱の後に滝夜叉姫と名乗り、妖術を使ったとされていますが最終的には大宅中将によって撃退されたと伝えられています。

(ちなみに、歌川国芳の『相馬の大内裏』のがしゃどくろはこの滝夜叉姫によって呼び起こされたものだとされています)

一方の春姫はというと平忠頼と結婚し、後に平正常の乱の当事者となる平忠常を生みました。

 

平忠常の乱の後は千葉氏や相馬氏の祖となったようです。

子孫について

平将門には平良門平将国という2人の息子がいましたが、平良門の方は平将門の乱の後に討伐され、次男である平将国は常陸国を本拠地として土着しましたが、最終的に男系の血筋は途絶えたそうです。

平将門の乱とは?

平将門の乱とは940年に関東で起こった一大反乱のことで伊予で起こった藤原純友の乱と合わせて承平天慶の乱とも呼ばれています。

平将門は親族間の争いに勝利して勢力を拡大していきましたが、この拡大政策がそのこじれから最終的に朝廷への反乱だと見られるようになりました。

 

将門は関東一帯を制圧して新皇と自称して独立王国を作ろうとしましたが、やがて朝廷から派遣された討伐軍によって討死しました。

平将門と平清盛との関係は?

平将門と平清盛は同じく桓武平氏という形とはなっているのですが、清盛の血筋は平将門の血筋ではなく、 逆に平将門を撃退した平貞盛の血筋でした。

平貞盛の息子である平維衡は後に伊勢(三重県)に移転して伊勢平氏と名乗り、この伊勢平氏の末裔が平清盛なのです。

平将門の首塚は危険な心霊スポット?

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平将門といえば怨霊というイメージがあるかもしれませんが、その中でも一番有名なのが首が飛んだという伝説

 

これは平将門の乱の後に晒し首となった平将門の首が全く腐らす、そして時が経つと首が空に飛んで関東に向かって飛び立ったというもの。

その途中で落ちたのですが、その場所に建てられているのが今の東京都の大手町にある将門塚

 

邪魔な位置にある思われるのですが、実はこの首塚にはとある伝説があるのです。

祟りの噂は事実?

将門塚は東京に住んでいる人なら一回は聞いたことがあるかもしれませんが、この将門塚にまつわる逸話は様々あります。

 

例えば、

  • 関東大震災の時に東京の新都市開発で将門塚を壊そうとしたらその計画担当者が不審死となった
  • 戦後GHQが丸の内周辺の整地にとって障害となるこの地を撤去した時に、ブルドーザーが横転して中の人が亡くなる

 

など不審な事故が相次いだため、計画を取り止めたという逸話も残っています。

 

祟りはあるのかないのかはわかりませんが、このような怨念のおかげで今も東京の中心部にポツリとそびえ立っているのです。

場所は?

場所は皇居の真ん前である東京都大手町付近にひっそりと佇んでいます。

周りは大企業のオフィスなのですが、ここだけは何度移転しても悲惨な目にあっているため何も手出しできず今に至っています。

平将門の伝説や呪いの真相

平将門の首塚はこのような様々な伝説を生み出しましたが、つぎはそんな平将門にまつわる様々な伝説について見ていこうと思います。

北斗七星の謎と山手線との関係

平将門の首塚がある江戸は江戸時代までは寒村だったため、あまり注目をしていませんでした。

ですが、徳川家康がこの江戸を本拠地にし始めるとこの江戸を永遠に発展させるために平将門の魔力を使おうとしたのです。

 

この平将門の魔力を利用しようと考えたのが徳川家康の側近であった天海というお坊さん。

天海は将門が北斗七星を信仰していたことを思いついて、将門ゆかりの神社を北斗七星の形に置いたのです。

東京スカイツリーが平将門の結界を破った?

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突然ですが、東京や京都などには風水の影響をかなり受けており、鬼門といって北東の方角には何かと対策するのが一般的な常識となっていました。

(例:京都における比叡山延暦寺、東京における東叡山寛永寺)

スカイツリーはそんな北東に位置しているおおきな塔なので、その鬼門を守っている役割があるのでしょう。

 

また、スカイツリーは将門ゆかりの寺社のすぐそばの場所に建っていているのです。

平将門を祀る神社

平将門を祀っている神社は東京を中心に数知れず。

つぎはそんな平将門を祀っている神社について見てていこうと思います。

神田明神

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平将門を祀っている神社の中で一番有名と言えるのはやはり神田明神ではないのでしょうか?

 

神田明神は元々普通の神社として作られましたが、平将門の乱で将門の首がここの付近に埋葬されると1300年ごろから平将門と神田明神の信仰が合わさって、いつしか平将門は神社の主祭神となるようになり今に至ります。

 

神田明神で平将門に祈りを捧げれば、平将門の乱で勝負を決めた将門のように勝負運が上がるという話も伝えられています。

兜神社

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東京証券取引所など日本の金融の中心として名がある兜町。

この兜町の元となった場所がこの兜神社でした。

 

兜神社は平将門が使用していたという兜が埋められていると伝えられており、また後の世にこの付近を本拠地とした源義家が戦に出陣する前に、この伝説にあやかって同じく兜を埋めたとされています。

非常にこじんまりとしていますが、巨大なオフィス街にたたずむその姿は圧巻です。

国王神社

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平将門の本拠地であった茨城県の坂東市には将門の三女が創立した神社である國王神社が立っています。

平将門の名誉が回復された後では平将門を御神体とした国王大明神としてこの付近の守り神として信仰を集めているのです。

 

さて、つぎはそんな東京にゆかりの深い平将門の生涯を描いた作品についてみていきましょう。

平将門を題材にした作品

さて、ここまでは将門ゆかりの場所について見ていきましたが、つぎはそんな将門の生涯を描いた作品について紹介しようと思います。

大河ドラマ

平将門の生涯を描いた大河ドラマである『風と雲と虹と』。

 

大河ドラマの中では一番古い時代を扱っているこの作品なのですが、平将門の乱と同じくこの頃起こった藤原純友の乱を中心に平将門と藤原純友という武士創成期に燦然と現れた二人の武将の熱い信念とロマンを描いています。

映画

平将門自身を扱った映画は存在しませんが、将門が重要人物となっているのが映画『帝都物語』です。

 

平将門は東京とゆかりが深いと解説していきましたが、この映画は帝都であった東京を滅ぼそうとする魔人と戦う映画なのですが、その魔人が東京を守っている平将門を呼び起こすなど時代背景は大正なのですが所々で平将門が登場しています。

小説「平将門と天慶の乱」

平将門と平将門の乱について詳しく知りたいと思っている人にオススメなのが、この『平将門と天慶の乱』。

 

この本には元々朝廷のしもべであった武士がどのようにして独立していき、そして平将門がどのようにして関東地方を支配して平将門の乱を起こしたのかが詳しく載っています。

小説「海と風と虹と」

平将門の乱と藤原純友の乱をテーマとした小説で大河ドラマ『風と雲と虹と』のモデルとなったのが海音寺潮五郎作の『海と風と虹と』。

 

この本では平将門をいざこざに巻き込まれてしまった人物と捉えて、藤原純友とともに細やかな風景の描写と、史料の読み込みを感じさせる時代考証がとても素晴らしい作品となっています。

 

それではまとめに入ります!

まとめ

  • 平将門は桓武天皇の子孫として武士として生まれたが、最終的には平将門の乱で討死した
  • 平将門は死後怨霊として恐れられ、東京のオフィス街の真ん中に首塚として残っている
  • 東京周辺には平将門にまつわる神社がある
  • 平将門は死後名誉が回復され、今では大河ドラマなど様々な作品で登場している

 

最後になりましたが、平将門は平安時代では謀反人として扱われましたが、現在では東京の守り神として信仰を集めています。

東京は今でも将門様がしっかりと守っているのかもしれませんね。

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