今回解説していくのは日本にキリスト教を広めていったイエズス会!
イエズス会にはいろいろな噂があるのですが、今回はそんなイエズス会について
- イエズス会とはどんな組織なのか?
- イエズス会が日本にキリスト教を広めた理由
- イエズス会とフリーメイソンの関係や奴隷貿易との関係
- イエズス会の紋章について
など、イエズス会に関する事を詳しく解説していきたいと思います!
目次
イエズス会が日本にキリスト教を布教した理由とは?
イエズス会がキリスト教を布教することになる日本。
実は日本にキリスト教を布教するようになったのはキリスト教を初めて日本に持ち込んだフランシスコ・ザビエルの意向によるものでした。
元々、イエズス会の組織はアジアを中心に布教を行おうとして、インド・中国を中心に進出。
ザビエルもインドのゴアというところで滞在することになります。
そんな時、ザビエルは一人の日本人に遭遇。
彼の名はヤジロウ。
元海賊として働き、殺人を犯したことで逃亡していました。
ザビエルは彼の故郷である日本について話を聞くことになるのですが、そこで聞かされた日本のことはザビエルの好奇心をくすぐり、日本にキリスト教を布教すると決心。
鹿児島に辿り着き、天皇からの布教の許可は下りなかったものの、
- 大内家が治める山口
- 大友家が治める豊後国
などで布教の許可を得て、特に豊後の国では2万人の信者がいるほどのキリスト教の拠点となっていきました。
ただ、よく言われるのがキリスト教の宣教師は他国を侵攻するための先兵隊だということ。
日本についても、元々は侵略するつもりであったとよく言われます。
しかし、ザビエルは侵略しようと考えておらず、ただ純粋にキリスト教を布教することを使命としていました。
これが日本の不幸中の幸いなのですが、この噂は天下人である豊臣秀吉の耳にも届き、バテレン追放令を出す一つのきっかけとなります。
イエズス会とは?
イエズス会は1534年にイグナティウス・ロヨラとフランシスコ・ザビエルらによって建てられたローマ教皇に絶対的な服従を理念としてキリスト教を広めるために世界的に布教活動をした組織のことです。
日本では耶蘇会とも呼ばれたりしますが、イエズス会はザビエルが日本に来日して布教を行い、さらにマデオ・リッチが中国で不況を行うなどアジアを中心としてキリスト教を布教しました。
ちなみに名門私立大学である上智大学はこのイエズス会の流れを汲みます。
しかし、豊臣秀吉がバテレン追放令を発令して宣教師を弾圧し、さらに中国ではイエズス会の布教方法がキリスト教の理念とはかけ離れているとして典礼問題が発生。
1724年には雍正帝によってキリスト教が布教禁止となり、ヨーロッパでナショナリズムが叫ばれるようになった1773年には教皇クレメンス14世によってイエズス会は解散に追い込まれました。
その後1814年になんとか再興。
今ではローマに本部を置き、さらにイエズス会出身の教皇が誕生するほどカトリックの世界ではなくてはならない存在となっています。
イエズス会歴代の総長
イグナチオ・デ・ロヨラ(1541年-1556年)
ディエゴ・ライネス(1558年-1565年)
フランシスコ・ボルハ(1565年-1572年)
エヴェラール・メルキュリアン(1573年-1580年)
クラウディオ・アクアヴィーヴァ(1581年-1615年)
ムツィオ・ヴィテレスキ(1615年-1645年)
ヴィンチェンツォ・カラハ(1646年-1649年)
フランチェスコ・ピッコローミニ(1649年-1651年)
アレクサンドロ・ゴッディフレディ(1652年)
ゴスヴィン・ニッケル(1652年-1664年)
ジョバンニ・パオロ・オリヴァ(1664年-1681年)
シャルル・ド・ノワイエル(1682年-1686年)
ティルソ・ゴンサレス(1687年-1705年)
ミケランジェロ・タンブリーニ(1706年-1730年)
フランティシェク・レッツ(1730年-1750年)
イニャツィオ・ヴィスコンティ(1751年-1755年)
ルイジ・チェントゥリネ(1755年-1757年)
ロレンツォ・リッチ(1758年-1773年) ここでいったんイエズス会が禁止される
タデウス・ブルツォツォフスキ(1814年-1820年)
ルイジ・フォルティス(1820年-1829年)
ヤン・フィリップ・ローターン(1829年-1853年)
ピーテル・ベックス(1853年-1887年)
アントン・アンデルレディ(1887年-1892年)
ルイス・マルティン(1892年-1906年)
フランツ・ヴェルンツ(1906年-1914年)
ヴロディミール・レドホフスキ(1915年-1942年)
ヨハネス・バプティスタ・ヤンセンス(1946年-1964年)
ペドロ・アルペ(1965年-1983年)
ペーター・ハンス・コルヴェンバッハ(1983年- 2008年)
アドルフォ・ニコラス(2008年-2016年)
アルトゥロ・ソサ (2016年-)
イエズス会とカトリック教会の違い
よく間違えやすいカトリック教会とイエズス会。
イエズス会というのは修道会というタイプでカトリック教会の中にある一組織として位置づけられています。
つまりイエズス会はカトリック教の一組織としてキリスト教を布教していったのですね。
イエズス会は人身売買をしていた?
イエズス会がアジアで熱心にキリスト教を広めていた時、世界では大航海時代のさながら奴隷貿易も行なっていました。
この奴隷貿易は主に黒人を中心に行われていたのですが、ポルトガルの宣教師は16世紀から17世紀にかけて九州を中心とした日本人を奴隷として買い付けてポルトガルに送るという事態が起こり始めました。
国王のセバスティアン1世はカトリックの布教の妨げとなるとして禁止令を出すのですが、依然として日本人の奴隷貿易は行われることになります。
そして日本人が奴隷として売り飛ばされていることを時の天下人である豊臣秀吉が聞くと大激怒。
イエズス会の布教の責任者であるガスパール・コエリョに人身売買とキリスト教の布教の関係について問い詰め、バテレン追放令が発令されることになりました。
イエズス会の紋章
イエズス会の紋章は太陽のマークにIHSの文字と十字架が組み合わさっている模様となっています。
IHSの意味はラテン語で「イエスは我らとともにあり」(Iesum Habemus Socium)という意味が込められている説や、ギリシャ語でイエスキリストという意味であるIhsouz Xristozの最初の3文字からとったという説があります。
イエズス会はフリーメイソンだった?
最近よく陰謀論で有名になっているフリーメイソン。
元々この組織は石工たちが集まって話し合いをしたことが起源だとされている友愛結社なんですが、この組織がなんとイエズス会と関係が深いという噂があるのです。
しかし、所詮は単なる陰謀論であり、理由や主張も子供の戯言のようなことばかりです。
元々カトリックはフリーメイソンのことを名指しで非難していないものの、「入会しようとしている人は厳しく罰する」というふうに公言しており、今をなおカトリックから破門されるぐらいの行為として受け取っているのです。
イエズス会の宣教師たちについて
イエズス会の宣教師たちは中国やインド、そして日本などを中心に布教を行っていくことになります。
このイエズス会の宣教師の最大の特徴が適応政策というものでした。
大航海時代の時にイエズス会の他にフランシスコ会やドミニコ会が熱心に世界に布教していきましたが、この修道会はあくまでもキリスト教に改宗させるために活動を行う組織でした。
しかし、イエズス会の場合だとヨーロッパのスタイルを押し付けるのではなく、現地に住んでいる人の風習に合わせる当時のヨーロッパでは考えられない程の画期的な方法を用いて布教していました。
宣教師たちはどうすれば現地の人にキリスト教が浸透するのかということを考えていたのです。
宣教師の中心となる人物
宣教師の中心として活動したのがモントマルトルの誓いをした7人のメンバー。
そこではイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルをはじめ7人の宣教師がカトリックの教えの元で世界中でキリスト教を広めていくこととなります。
日本における宣教師の中心となったのが、
- ルイス・フロイス
- アレッサンドロ・ヴァリニャーノ
などといった宣教師。
ヴァリニャーノは4人の日本人を天正遣欧少年使節としてローマ教皇に謁見させたことで、フロイスは著書『日本史』で有名ですね。
イエズス会上石神井修道院
遠くスペインからはるばる日本にキリスト教を布教したフランシスコ・ザビエル。
キリスト教は江戸時代に入ると完全に禁止となり、一時期は冬の時代を迎えました。
しかし、明治時代に入るとまたキリスト教が布教することができるようになりイエズス会も日本での布教を再び行えるようになりました。
そんなザビエルが所属していたイエズス会の修道院が東京の上石神井にあります。
無原罪聖母修道院−霊性センターせせらぎ
イエズス会上石神井修道院のすぐ近くにはキリスト教が日本において浸透することを目的とした施設があります。
年に何度もキリスト教のイベントが開催されているようですね。
それではまとめに入ります!
まとめ
まとめです!
- イエズス会はロヨラなどによって解説されたキリスト教を布教するための組織
- イエズス会が日本にキリスト教を広めた理由にはザビエルの熱い思いがあった
- イエズス会はフリーメイソンとの関係がある噂は大体ちゃんとしかない陰謀論であるが、日本人を奴隷として貿易していたのは事実でそれがバテレン追放令に繋がった
- イエズス会の紋章には十字架にIHSの文字が刻まれている
最後になりましたが、例えどんな噂があったとしても16世紀の航海ではるばるアジアにキリスト教を広めようとしたイエズス会は称賛に値すると思います。
日本にキリスト教が広まったきっかけはイエズス会の努力が存在していたのです。