今回は縄文時代についてです。
はるか昔に1万年ほど続いたこの時代ですが、近年の研究から新たな事実が見えてきました。
- 縄文時代の人々の生活とは?
- 縄文時代と弥生時代の違いとは?
- 縄文人はどこからやってきたのか?
- 縄文時代に争いはなかったのか?
などなど、詳しく考察していこうと思います!
目次
縄文時代の生活とは?
縄文時代、人々はどのような暮らしをしていたのでしょうか。
まず、食事面で挙げられるのは、植物採集と動物の狩りです。
人々はクリやクルミ、山菜やキノコなどを採っていたようです。
そして、シカやイノシシなどを狩るために、人々は現代人のように犬を飼っていたようですよ。
縄文時代の道具としては縄文土器が有名ですが、こうした道具は食生活に応じて作られました。
道具については後の章で詳しく見ていきます。
また縄文時代より前の時代、人々はマンモスなどを追いかけるために移動しながら生活していましたが、縄文時代には人々は定住生活を始めました。
これが「ムラ」の始まりです。
ムラには、人々を埋葬するお墓や、貝殻や食べかすなどを捨てる貝塚が存在します。
さらに、縄文人は丸木舟を作って海を渡り、各地の特産品を得ていたようです。
この特産品の中で代表的なものがヒスイです。
ヒスイは首飾りなどのアクセサリーとして用いられたようです。
次に、縄文時代の住居や食べ物、人々の服装や使われた道具について続けて見ていきます!
住居
縄文時代の住居は、竪穴式のものでした。
この竪穴式住居は、地面を円形や方形に掘りくぼめ、その中に柱をたてて作られる住居です。
屋根は葦などの植物でできています。
竪穴式住居という言葉自体は、縄文時代の建物として有名ですが、東北地方などでは室町時代あたりまで作られていたそうですよ。
食べ物
先ほどの章で少し触れたように、縄文時代の人々は狩猟と採集により食べ物を得ていました。
シカやイノシシを狩ったり、クリやクルミなどを採ったりしたほか、モリなどの道具を用いて魚を捕ることもありました。
服装
縄文時代の人々の服は、毛皮によるものや麻によるものがあります。
夏などは麻による服だけで事足りたようですが、厚着する時はシカの毛皮で作った服を着ていました。
また、山を歩く時などは靴も履いていたようです。
道具
縄文時代には、道具としての金属の使用はまだ見られませんでした。
道具の材料としては石や木や動物の骨が用いられました。
石器としては、獣の皮に穴をあける時などに用いる石錐や、獲物を捕まえる際に使う石鏃のほかに、ナイフや皿として用いられたものもありました。
木や骨でできた道具の多くは時代を経る中で腐敗してなくなってしまったため、現在発見されるのはこうした石器が多いというわけです。
次の章では、道具の中でも有名と言える、縄文土器について見ていきます。
縄文土器
縄文時代を語る上で欠かせないのが、縄文土器の存在です。
縄文土器は当時、食料の調理や祭祀を目的として作られていたようです。
硬いきのみを食べられるようにするためには加熱が必要であったこと、動物の肉を直火で加熱することが難しかったことなどから、土器の必要性が生まれたのです。
また祭祀としては、住居の中に土器を埋める施設があったとされており、埋葬に関わっていると言われています。
「縄文」の名前の由来は、土器が縄目の模様をしていることであり、「縄文時代」という名称はこの土器の名前に由来しているのです。
次に、縄文時代に使われた言葉について見ていきます。
言葉
縄文時代の言葉は証拠として残っている文字がないため、まだ謎が多いです。
学説は様々であり、中国や韓国の言葉を話していたという説から、ギリシア語やヘブライ語を話していたという説もあるのです!
また、現在の東北方言や琉球語などから、縄文時代の言語を推測しようという動きもあります。
次に、縄文人の平均寿命や、縄文時代がどれくらいの期間続いたのかについて見ていきます。
平均寿命
縄文時代の平均寿命は、男女ともに14.6歳だったようです。
これは、乳幼児期の非常に高い死亡率による低さのようです。
それでも、15歳まで生きた人の平均余命も16年ほどだったようです。
とても高い出生率でカバーすることで、厳しい環境下で集団を存続させようとしていた、と言われています。
縄文時代は何年前?
縄文時代は、今からおよそ16000年前に始まり、2300年ほど前に終わったとされています。
縄文時代と弥生時代の違い
次に、縄文時代と弥生時代の違いを、人々の特徴や道具などの観点から見ていこうと思います。
まず人々の特徴ですが、顔の感じが異なることがポイントです。
縄文人の顔は四角い、眉が太い、耳たぶが大きい、唇が分厚いといった特徴を持つのに対して、弥生人の顔は輪郭が丸い、眉が細い、耳たぶが小さい、唇が薄いといった特徴を持っています。
こうした違いが如実に表れているのは、両者の出自が異なっているためなのです。
(両者の出自については次の章で詳しく解説します)
次に道具の違いです。
第一に見ておきたいのが、土器の違いでしょう。
弥生土器は縄文土器と異なり、装飾がほとんどなく薄く作られています。
土器製作の技術が上がったことから生まれたこの弥生土器は、縄文土器よりも丈夫なのです。
また、縄文時代には道具は石や木などから作られていましたが、弥生時代に入ると鉄による道具が誕生します。
鉄は朝鮮半島から伝わったと思われており、鉄製の農具のおかげで活動効率がかなり上がったようです。
次の章からは、縄文時代の謎に迫ります!
まずは、縄文人がどこからやってきたのかについて見ていきます!
縄文時代の謎
縄文人はどこからやってきた?
近年DNAによる縄文人の解析が進み、縄文人の出自が徐々に明らかになってきました。
従来縄文人は満州地方からやってきたとされてきたのですが、実際はラオスやマレーシアから日本にやってきて、その後満州地方へと渡ったらしいのです。
ちなみに、前述の弥生人は中国大陸から日本にやってきたとされています。
すでに稲作が広がっていた?
弥生時代には稲作が広がっていたと言われていますが、縄文時代はどうだったのでしょうか。
最近の研究によると、縄文時代の後期あたりから稲作は始まっていたようです。
イネの一種が南西諸島を通じて日本に伝わったとする説、朝鮮半島を経由して伝わったとする説など、現在もさまざまな学説が存在しますが、稲穂を摘み取るためと思われる土器が見つかったということもあり、稲作は行われていたという見方が強くなっているのです。
次に、縄文時代には争いがなかったのかについて見ていきます。
縄文時代には争いがなかった?
縄文時代には争いが極めて少なかったと言われています。
これは弥生時代との比較をするとなお明らかなようです。
弥生時代の遺跡からは武器で殺された人の骨などが一箇所から見つかることもあったのですが、縄文時代の遺跡ではこのようなことはありません。
また、弥生時代の集落には監視を目的とした物見櫓が存在していましたが、縄文時代にはありませんでした。
1万年以上争いがなかった縄文時代から、現代に活かせることもありそうですね。
次に、現存する縄文時代の遺跡をご紹介します。
現存する縄文時代の遺跡
縄文時代を代表する遺跡を2つご紹介します。
まずは三内丸山遺跡です。
最も有名とも言えるこの遺跡は、現在の青森県にある縄文時代の大規模集落の跡であり、土器や石器なとが多数出土しています。
次は板付遺跡です。
板付遺跡は現在の福岡県にあり、縄文時代の後期に稲作が行われていたことを示した遺跡の一つです。
ここからは銅剣や磨製石器などが出土しており、弥生人が大陸の人々と交流していたことを物語っています。
まとめ
それでは縄文時代についてもう一度振り返ってみます。
- 縄文時代は今からおよそ16000年前から1万年以上続いた時代です。
- 人々は狩猟と採集により食べ物を得て、竪穴式住居に住み、麻や皮で作った服を着ていました。
- 道具としては、調理などに用いられた縄文土器や、穴をあけたり物を切ったりするための石器などが使われていました。
- 縄文時代の人々の使っていた言葉はまだ解明されておりません。
- 縄文時代の人々の平均寿命は14歳ほどと、現在に比べて非常に低いことは分かっています。
- 縄文時代と弥生時代では、人々の顔の造りや、土器の質、鉄使用の有無などがありましたね。
- また、最近の研究から、縄文人はラオスやマレーシアから日本にやってきたこと、縄文時代の後期には稲作も始まっていたことなどが明らかになっています。
- 縄文時代は争いが少ない平和な時代であり、三内丸山遺跡や板付遺跡などがこのころの遺跡として有名です。
縄文時代に思いを馳せながら遺跡を散策してみるのも面白そうですね!