幕府を倒した明治政府が、『立憲制国家』だということを諸外国に表明するため、1889年に締結した大日本帝国憲法。
しかしこれは、立法・司法・行政すべて天皇をトップとしたほか、行政の一環であった軍部すら『天皇が直接指揮するもの』と定義され、昭和で軍部の暴走を招く結果となってしまいました。
- なぜ天皇に主権があるとしたのか?
- 国民の権利はどうだったのか?
- 国民の義務は?
今回は、この辺りを詳しく解説していきます!
目次
大日本帝国憲法とは?
大日本帝国憲法とは、1889年、明治天皇が第2代内閣総理大臣・黒田清隆に渡すという形で出された、日本初めての近代憲法でした。
現行の日本国憲法(にほんこくけんぽう)と比較して『旧憲法(きゅうけんぽう)』と呼ばれることもあります。
この13年前の1876年にオスマントルコにおいて制定された『オスマン帝国憲法(おすまんていこくけんぽう)』が、わずか2年後の1878年に停止され、以降皇帝の専制政治が続くのに対し、大日本帝国憲法は天皇が改正できるにもかかわらず、戦後まで改正されなかったといわれます。
戦後の1947年5月2日まで存続し、1946年11月3日に第73条の憲法改正手続きによる公布を得る形で、1947年5月3日に日本国憲法が施行されました。
次に、その特徴についてみていきます。
大日本帝国憲法の特徴
もともとこの憲法は、当時国力が一番高かったとされるドイツ帝国にあやかって作ったものでした。
当時ドイツは『鉄血宰相(てっけつさいしょう)』と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクによって、当時ばらばらであったドイツが統一され、ナポレオン三世率いるフランスにも勝利する形でドイツ帝国が出来上がっていました。
ドイツの政治体制は、ドイツ皇帝に任命された宰相一人が立法・司法・行政のトップとして政治を行うシステムでした。
議会はあくまでも、宰相の行政のチェック程度にとどまり、その力は極めて弱かったものといわれています。
かたや日本では、イギリス流の議会政治を主張する大隈重信率いる『立憲改進党(りっけんかいしんとう)』、フランス流議会政治を主張する板垣退助率いる『自由党(じゆうとう)』等もあり、意見が分かれていました。
フランス革命をはじめとする革命によって王政・帝政共に廃止されたフランスはもちろん、イギリスも国王は『君臨すれども統治せず』、つまり形だけの存在で政治にかかわらず、政治は議会中心で行う形でした。
伊藤博文は当時高まっていたこれらの自由民権運動もあって『君民共治論(くんみんきょうちろん)』、すなわち主君である天皇と民衆が共同する形で統治する方法も考えていたようです。
ただ、元々幕末の尊王攘夷論は、曲折の末、『幕府と諸藩が一致団結して、「日本チーム」という形で諸外国に対抗すべきだ』という持論でまとまっていました。
そのうえで徳川の立場しか考えていなかった幕府に愛想をつかしていた新政府は、戊辰戦争という力業まで使って旧体制を一掃せざるを得なかったわけです。
つまり、あまり下部の人間に配慮ばかりしていると日本チームがまとまらず、諸外国の圧力に対応できない、と考えたものと思われます。
加えて、先ほど語ったオスマン帝国憲法は、ロシアの圧力の中で議会が有効な打開策を見つけられず、当時のオスマン皇帝であったアブデュルハミト2世名義で憲法が停止になりました。
このことから考えても、列強の圧力が並大抵のものではないことを伊藤博文は実感していたものと思われます。
(ちなみにオスマン帝国憲法停止の9年後で大日本帝国憲法発布の2年前である1887年には、天皇の一族である小松宮(こまつみや)夫妻がオスマントルコ首都のイスタンブールを訪問しています)
次に、主権者についてみていきます。
主権者
日本国憲法と異なり、憲法における主権者は、日本国民ではなく天皇ということになっています。
日本国民は天皇の『臣民(しんみん。天皇の家臣である民)』とされており、『法律の範囲内で』言論の自由が保証されているということでした。
次に、その条文についてみていきます。
条文
第一條
大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二條
皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス
第三條
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四條
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
第五條
天皇ハ帝國議會ノ協贊ヲ以テ立法權ヲ行フ
第六條
天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
第七條
天皇ハ帝國議會ヲ召集シ其ノ開會閉會停會及衆議院ノ解散ヲ命ス
第八條
天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル爲緊急ノ必要ニ由リ帝國議會閉會ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ發ス
此ノ勅令ハ次ノ會期ニ於テ帝國議會ニ提出スヘシ若議會ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ將來ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ
第九條
天皇ハ法律ヲ執行スル爲ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ增進スル爲ニ必要ナル命令ヲ發シ又ハ發セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ變更スルコトヲ得ス
第十條
天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ揭ケタルモノハ各〻其ノ條項ニ依ル
第十一條
天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第十二條
天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第十三條
天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス
第十四條
天皇ハ戒嚴ヲ宣告ス
戒嚴ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム
第十五條
天皇ハ爵位勳章及其ノ他ノ榮典ヲ授與ス
第十六條
天皇ハ大赦特赦減刑及復權ヲ命ス
第十七條
攝政ヲ置クハ皇室典範ノ定ムル所ニ依ル
攝政ハ天皇ノ名ニ於テ大權ヲ行フ
第十八條
日本臣民タルノ要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
第十九條
日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ應シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得
第二十條
日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ從ヒ兵役ノ義務ヲ有ス
第二十一條
日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ從ヒ納稅ノ義務ヲ有ス
第二十二條
日本臣民ハ法律ノ範圍內ニ於テ居住及移轉ノ自由ヲ有ス
第二十三條
日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問處罰ヲ受クルコトナシ
第二十四條
日本臣民ハ法律ニ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ權ヲ奪ハルヽコトナシ
第二十五條
日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外其ノ許諾ナクシテ住所ニ侵入セラレ及搜索セラルヽコトナシ
第二十六條
日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ祕密ヲ侵サルヽコトナシ
第二十七條
日本臣民ハ其ノ所有權ヲ侵サルヽコトナシ
公益ノ爲必要ナル處分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
第二十八條
日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
第二十九條
日本臣民ハ法律ノ範圍內ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス
第三十條
日本臣民ハ相當ノ敬禮ヲ守リ別ニ定ムル所ノ規程ニ從ヒ請願ヲ爲スコトヲ得
第三十一條
本章ニ揭ケタル條規ハ戰時又ハ國家事變ノ場合ニ於テ天皇大權ノ施行ヲ妨クルコトナシ
第三十二條
本章ニ揭ケタル條規ハ陸海軍ノ法令又ハ紀律ニ牴觸セサルモノニ限リ軍人ニ準行ス
第三十三條
帝國議會ハ貴族院衆議院ノ兩院ヲ以テ成立ス
第三十四條
貴族院ハ貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス
第三十五條
衆議院ハ選擧法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス
第三十六條
何人モ同時ニ兩議院ノ議員タルコトヲ得ス
第三十七條
凡テ法律ハ帝國議會ノ協贊ヲ經ルヲ要ス
第三十八條
兩議院ハ政府ノ提出スル法律案ヲ議決シ及各〻法律案ヲ提出スルコトヲ得
第三十九條
兩議院ノ一ニ於テ否決シタル法律案ハ同會期中ニ於テ再ヒ提出スルコトヲ得ス
第四十條
兩議院ハ法律又ハ其ノ他ノ事件ニ付各〻其ノ意見ヲ政府ニ建議スルコトヲ得但シ其ノ採納ヲ得サルモノハ同會期中ニ於テ再ヒ建議スルコトヲ得ス
第四十一條
帝國議會ハ每年之ヲ召集ス
第四十二條
帝國議會ハ三箇月ヲ以テ會期トス必要アル場合ニ於テハ勅命ヲ以テ之ヲ延長スルコトアルヘシ
第四十三條
臨時緊急ノ必要アル場合ニ於テ常會ノ外臨時會ヲ召集スヘシ
臨時會ノ會期ヲ定ムルハ勅命ニ依ル
第四十四條
帝國議會ノ開會閉會會期ノ延長及停會ハ兩院同時ニ之ヲ行フヘシ
衆議院解散ヲ命セラレタルトキハ貴族院ハ同時ニ停會セラルヘシ
第四十五條
衆議院解散ヲ命セラレタルトキハ勅命ヲ以テ新ニ議員ヲ選擧セシメ解散ノ日ヨリ五箇月以內ニ之ヲ召集スヘシ
第四十六條
兩議院ハ各〻其ノ總議員三分ノ一以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開キ議決ヲ爲スコトヲ得ス
第四十七條
兩議院ノ議事ハ過半數ヲ以テ決ス可否同數ナルトキハ議長ノ決スル所ニ依ル
第四十八條
兩議院ノ會議ハ公開ス但シ政府ノ要求又ハ其ノ院ノ決議ニ依リ祕密會ト爲スコトヲ得
第四十九條
兩議院ハ各〻天皇ニ上奏スルコトヲ得
第五十條
兩議院ハ臣民ヨリ呈出スル請願書ヲ受クルコトヲ得
第五十一條
兩議院ハ此ノ憲法及議院法ニ揭クルモノヽ外內部ノ整理ニ必要ナル諸規則ヲ定ムルコトヲ得
第五十二條
兩議院ノ議員ハ議院ニ於テ發言シタル意見及表決ニ付院外ニ於テ責ヲ負フコトナシ但シ議員自ラ其ノ言論ヲ演說刊行筆記又ハ其ノ他ノ方法ヲ以テ公布シタルトキハ一般ノ法律ニ依リ處分セラルヘシ
第五十三條
兩議院ノ議員ハ現行犯罪又ハ內亂外患ニ關ル罪ヲ除ク外會期中其ノ院ノ許諾ナクシテ逮捕セラルヽコトナシ
第五十四條
國務大臣及政府委員ハ何時タリトモ各議院ニ出席シ及發言スルコトヲ得
第五十五條
國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス
第五十六條
樞密顧問ハ樞密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ應ヘ重要ノ國務ヲ審議ス
第五十七條
司法權ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ
裁判所ノ構成ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム
第五十八條
裁判官ハ法律ニ定メタル資格ヲ具フル者ヲ以テ之ニ任ス
裁判官ハ刑法ノ宣告又ハ懲戒ノ處分ニ由ルノ外其ノ職ヲ免セラルヽコトナシ
懲戒ノ條規ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム
第五十九條
裁判ノ對審判決ハ之ヲ公開ス但シ安寧秩序又ハ風俗ヲ害スルノ虞アルトキハ法律ニ依リ又ハ裁判所ノ決議ヲ以テ對審ノ公開ヲ停ムルコトヲ得
第六十條
特別裁判所ノ管轄ニ屬スヘキモノハ別ニ法律ヲ以テ之ヲ定ム
第六十一條
行政官廳ノ違法處分ニ由リ權利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ屬スヘキモノハ司法裁判所ニ於テ受理スルノ限ニ在ラス
第六十二條
新ニ租稅ヲ課シ及稅率ヲ變更スルハ法律ヲ以テ之ヲ定ムヘシ
但シ報償ニ屬スル行政上ノ手數料及其ノ他ノ收納金ハ前項ノ限ニ在ラス
國債ヲ起シ及豫算ニ定メタルモノヲ除ク外國庫ノ負擔トナルヘキ契約ヲ爲スハ帝國議會ノ協贊ヲ經ヘシ
第六十三條
現行ノ租稅ハ更ニ法律ヲ以テ之ヲ改メサル限ハ舊ニ依リ之ヲ徵收ス
第六十四條
國家ノ歲出歲入ハ每年豫算ヲ以テ帝國議會ノ協贊ヲ經ヘシ
豫算ノ款項ニ超過シ又ハ豫算ノ外ニ生シタル支出アルトキハ後日帝國議會ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス
第六十五條
豫算ハ前ニ衆議院ニ提出スヘシ
第六十六條
皇室經費ハ現在ノ定額ニ依リ每年國庫ヨリ之ヲ支出シ將來增額ヲ要スル場合ヲ除ク外帝國議會ノ協贊ヲ要セス
第六十七條
憲法上ノ大權ニ基ツケル既定ノ歲出及法律ノ結果ニ由リ又ハ法律上政府ノ義務ニ屬スル歲出ハ政府ノ同意ナクシテ帝國議會之ヲ廢除シ又ハ削減スルコトヲ得ス
第六十八條
特別ノ須要ニ因リ政府ハ豫メ年限ヲ定メ繼續費トシテ帝國議會ノ協贊ヲ求ムルコトヲ得
第六十九條
避クヘカラサル豫算ノ不足ヲ補フ爲ニ又ハ豫算ノ外ニ生シタル必要ノ費用ニ充ツル爲ニ豫備費ヲ設クヘシ
第七十條
公共ノ安全ヲ保持スル爲緊急ノ需用アル場合ニ於テ內外ノ情形ニ因リ政府ハ帝國議會ヲ召集スルコト能ハサルトキハ勅令ニ依リ財政上必要ノ處分ヲ爲スコトヲ得
前項ノ場合ニ於テハ次ノ會期ニ於テ帝國議會ニ提出シ其ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス
第七十一條
帝國議會ニ於テ豫算ヲ議定セス又ハ豫算成立ニ至ラサルトキハ政府ハ前年度ノ豫算ヲ施行スヘシ
第七十二條
國家ノ歲出歲入ノ決算ハ會計檢査院之ヲ檢査確定シ政府ハ其ノ檢査報告ト俱ニ之ヲ帝國議會ニ提出スヘシ
會計檢査院ノ組織及職權ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム
第七十三條
將來此ノ憲法ノ條項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝國議會ノ議ニ付スヘシ
此ノ場合ニ於テ兩議院ハ各〻其ノ總員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多數ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ爲スコトヲ得ス
第七十四條
皇室典範ノ改正ハ帝國議會ノ議ヲ經ルヲ要セス
皇室典範ヲ以テ此ノ憲法ノ條規ヲ變更スルコトヲ得ス
第七十五條
憲法及皇室典範ハ攝政ヲ置クノ間之ヲ變更スルコトヲ得ス
第七十六條
法律規則命令又ハ何等ノ名稱ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ總テ遵由ノ効力ヲ有ス
歲出上政府ノ義務ニ係ル現在ノ契約又ハ命令ハ總テ第六十七條ノ例ニ依ル
次に、これらを現代語訳してみます。
条文の現代語訳
第一条:大日本帝国はすべての世において一つの血筋であった天皇によって統治される。
第二条:皇位は皇室典範での規定で男性がそれを継ぐ。
第三条:天皇の地位は神聖で、他者が侵してはならない。
第四条:天皇は国の元首であり、統治権を持っており憲法に従って行使する。
第五条:帝国議会の協賛の下、天皇は議会権をもち、これを行使する。
第六条:天皇は法律を認め、それを交付し執行を命じる権利がある。
第七条:天皇には議会を招集し、その開会・閉会・停会、そして衆議院の解散を命じる権利がある。
第八条:天皇は緊急事態の時は帝国議会を閉会するうえで、法律にとってかわる勅令を出すことができる。
この勅令は次の会期で議会に提出するという形になるが、もし議会が認めない場合は勅令は効力を示さない。
第九条:天皇は法律を執行するうえでは公共の福祉を向上し臣民の幸せを向上させるための命令を出すことができるが、天皇の命令で法律は変更できない。
第十条:行政官僚の人事権・および給料の権限は天皇が持つ。
しかし憲法あるいはこの法律に特例を掲げたものはその条項による。
第十一条:天皇は陸海軍を統率する。
第十二条:陸海軍の人員と資金配分は天皇が行う。
第十三条:外国への宣戦布告と講和、および条約の締結は天皇が行う。
第十四条:天皇は戒厳令を宣告できるが、その内容と効力は法律で定められる。
第十五条:爵位(公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵)や勲等、栄典は天皇が出す。
第十六条:罪の恩赦や特赦、および減刑は天皇が出せる。
第十七条:聖徳太子や平安時代の藤原氏がなった摂政は、皇室典範によって天皇名義で出され、天皇に変わって政治を任される。
第十八条:日本臣民、つまり日本国民の定義は法律による。
第十九条:日本臣民は法律によって行政の職に就くことができる。
第二十条:日本臣民は法律に従う形で兵役の義務がある。
第二十一条:日本臣民は法律に従う形で納税の義務がある。
第二十二条:日本臣民は法律の範囲内において居住・移動の自由がある。
第二十三条:日本臣民は法律の定めるところなく逮捕・拷問・監禁・処罰の刑を受けることなし。
第二十四条:日本臣民は法律の範囲内で裁判官の裁判を受ける権利がある。
第二十五条:日本臣民は法律に定められたほかなくして住居に侵入され家宅捜索されることはない。
第二十六条:日本臣民は法律に定められたほかなくして手紙の秘密をばらされることはない。
第二十七条:日本臣民は所有権を犯されることはない。
公共の利益のため必要な処分は法律の定めるところにある。
第二十八条:秩序を保ち、かつ臣民の義務に背かない限り、信教の自由がある。
第二十九条:日本臣民は法律の範囲内において言論・著作・集会・結社の自由がある。
第三十条:日本臣民は相応の礼儀を守り、規定に従ったうえで請願することができる。
第三十一条:以上に掲げた条規は、戦時や有事の場合においては天皇の命令より下となる。
第三十二条:以上に掲げた条規は、陸海軍の法令や規律に抵触しない限り軍人に倣うものとする。
第三十三条:帝国議会は衆議院・貴族院の二院になる。
第三十四条:貴族院は貴族院令に定められる形で天皇に選ばれた皇族・華族が議員となる。
第三十五条:衆議院は選挙法に定められる形で選挙に選ばれた人間が議員となる。
第三十六条:衆議院議員と貴族院議員は兼任できない。
第三十七条:法律はすべて両議会の賛成を条件に成立する。
第三十八条:両議会は政府の提出する法律案を採決し、各々法律案を出すことができる。
第三十九条:両議院のどちらかにおいて否決された法案は、同じ会期では再提出ができない。
第四十条:両議院は法律または事件において自分の意見を政府に提出できる。
ただし不採用になった意見は同じ会期においては再提出ができない。
第四十一条:帝国議会は毎年招集する。
第四十二条:原則として帝国議会の会期は三か月だが、必要な場合は天皇の命令である勅令で延ばすことができる。
第四十三条:緊急の時は定期的な議会のほか、臨時議会を開くことができる。
この臨時議会の会期は勅令によって定められる。
第四十四条:帝国議会の開会・閉会・会期延長・停会は両院同時に行うこと。
衆議院の解散が命じられた時は貴族院も停会する。
第四十五条:衆議院解散が命じられた時は勅命による選挙で新たに議員を選び、解散の日から五か月以内に召集すること。
第四十六条:両議院は全議員のうち三分の一以上出席しなければ議事も議決もできない。
第四十七条:両議院の採決は過半数を取れるかどうかで決まる。
賛否が同数な場合は、議長の判断によって決まる。
第四十八条:両議院の会議は基本的に公開するが、政府の要求やその院の決議によって非公開となることがある。
第四十九条:両議院は天皇に意見を述べることができる。
第五十条:両議院は臣民から提出された請願書を受け取れる。
第五十一条:両議院はこの憲法・議院法の他、内部の整理に必要な諸規則に従わないといけない。
第五十二条:両議院の議員は議院においての発言や採決において、院外で責任を取ることはない。
ただし、議員が自らその言論を出版したりした場合は法律によって規制される。
第五十三条:両議院の議員は法律上の犯罪を犯したときや、内憂外患に関わる罪を犯した場合以外は、会期中に院の命令無くして逮捕されることはない。
第五十四条:国務大臣や政府の委員、つまり閣僚や官僚はいつでも各議院に出席し発言することができる。
第五十五条:国務大臣、つまり閣僚は天皇を補佐する責任がある。
法律や勅令は国務大臣の副署がいる。
第五十六条:枢密院の顧問は枢密院の制度の定めるところにより天皇と重要な国務を審議する。
第五十七条:司法権は天皇の名で法律により裁判所によって行われる。
裁判所の構成は法律によって定められる。
第五十八条:裁判官は法律に定める資格を持つものによって任される。
裁判官は刑法の宣告あるいは懲戒の処分によって以外はその職を解かれることはない。
懲戒の条件は法律で定める。
第五十九条:裁判の判決は公開する、ただし秩序や風俗を乱すようなことがあるときは法律か裁判所の決議で公開を停止する。
第六十条:特別裁判所というのもあるが、それが扱うものは法律で定める。
第六十一条:行政官の違法な処分で権利を侵害されたとして訴訟する場合、法律で定めた行政裁判所の裁判のうちに入るものは司法裁判所で受理するとは限らない。
第六十二条:新たに租税(そぜい。税金)を課し、かつ今までの税率を変更する場合は法律で定める。
ただし行政官の報酬にかかる手数料は例外とする。
国債(こくさい。国の発展の名目で民間人から借りるお金)以外に外国からお金を借りる場合は、帝国議会の承認を得ること。
第六十三条:現行の税は法律で改めない限りは従来のやり方に沿って徴収する。
第六十四条:国家の歳出(さいしゅつ。出金)は毎年予算を組んで帝国議会の了承を得ること。
予算を超過したり、予算の他に出費が出た時は、後で帝国議会の承認を得ること。
第六十五条:原則として、予算は先に衆議院に出すこと。
第六十六条:皇室の経費は現在の額で国庫(こっこ。国の財政)から出し、将来増額する必要がある以外は帝国議会の承認を得なくていい。
第六十七条:憲法上で国家の大計と見なされる歳出は法律あるいは法律により政府に定められ、帝国議会は政府の同意無くしてこの歳出を排除することはできない。
第六十八条:特殊な要求で特別な予算を組む場合は、政府は年限を設ける形で定め、帝国議会の承認を必要とする。
第六十九条:緊急の財政不足を防ぐために、予算制定においては予備費を設けること。
第七十条:公共の安全を保つためか緊急の需要がある時、内外の事情で政府が帝国議会を招集できないときは天皇の勅令を得、必要な費用を出すことができる。
前者の場合は次の会期において帝国議会の了承がいる。
第七十一条:帝国議会において予算案がまとまらず、また予算案が議会で成立しなかったときは、政府は前年度の予算額でいくこと。
第七十二条:国家の支出及び収入の決算は会計検査院で行い、政府はその検査報告と決算を帝国議会に公開すること。
会計検査院の組織と職権は法律によって定められる。
第七十三条:将来この憲法を改正する必要があるときは、天皇一人が勅命で議案を帝国議会に提出する。
この場合、両議院において全議員の三分の二以上の出席がない場合議論することができず、また、三分の二以上の賛成がなければ改正することができない。
第七十四条:皇室典範の改正は、帝国議会の承認を得なくていい。
皇室典範でこの憲法の条規の変更はできない。
第七十五条:憲法と皇室典範は摂政を置いた場合、この間は変更できない。
第七十六条:法律・規則・命令すべて、憲法以前に出されてきた法令は憲法に矛盾しない限り効力がある。
歳出上政府の義務にかかる現在の契約・命令は第六十七条に従う。
次に、大日本帝国憲法における天皇の地位についてみていきます。
大日本帝国憲法での天皇の地位
大日本帝国における天皇は、三権のトップ。
加えて帝国憲法3条に『天皇の地位は神聖にして犯すべからず』、つまり生まれながらに天皇は神聖なもので、侵すようなことはあってはならず、また大日本帝国憲法も、天皇だけが改正できるという条文になっていました。
もともと明治維新を動かしていた薩長土肥が、尊王論を強く信奉していたために、このような天皇が三権すべてのトップである憲法を考えていたのが本当のところでしょう。
もっとも自由民権運動の活動家であった植木枝盛(うえきえもり)、千葉卓三郎(ちばたくさぶろう)といった面々も、自分で憲法案を作っているのですがその中でも、
- 天皇に関しては『神聖で侵せない』
- 立法・司法・行政のトップは皆天皇
- 軍のトップも天皇
といった風に、天皇をトップに据えた憲法案であったのが本当のところのようです。
ただ、『「天皇のもとに」国民の権利や利益の保証を憲法に盛り込むべき』という持論が正直なところで、国民と天皇が平等であるという認識や、天皇象徴論もなかったというのが本当という向きが多くなっています。
大日本帝国憲法にしろ、自由民権運動の活動家たちにしろ、『天皇がトップ(=最終責任は天皇一人にある)』という憲法を作りたかったのが事実のようです。
次に、大日本帝国における国民の人権保障について見ていきます。
国民の人権保障はどのように定められていたのか?
明治期の『治安警察法(ちあんけいさつほう)』あるいは昭和初期の『治安維持法(ちあんいじほう)』のイメージがあるため、どうしても戦前は言論は不自由なイメージがあります。
ですが、少なくとも条文上は『法律の範囲内で』保証されていた、というのが本当のところのようです。
先ほども言いましたが、自由民権運動活動家の中で、千葉はもちろん、一番市民主義的と評される植木も、『「天皇(植木の憲法案では『皇帝』と表記)のもとに」』人権を保障する憲法を求めていました。
(植木は板垣と同じ土佐の士族の生まれということもあります。)
昨今、ニートや引きこもり(プライドばかり高く、反面傷つくのを恐れて人と関わりたがらない人が多いのです)が増加していることを考えると、怠惰で安きに流されてばかりの人間が増えてきたような気もしなくもないのです。
彼らは自由でも何でもありません。
人権と義務、言い換えると自由と規律のバランスは難しいのですが、大日本帝国憲法の時代は、西洋のアジア進出が活発で、個々の自由より集団をまとめることのほうが優先される必要があったとも思われます。
しかし、やがて第一次大戦で植民地侵略が廃止されてその必要がなくなってしまったことに加え、昭和の軍部が暴走。
これが、大日本帝国憲法における人権の空洞化と戦争を招き寄せてしまったものと考えられます。
次に、国民の義務についてみていきます。
定められていた国民の義務とは何か?
大きく分けて2つ。
- 納税の義務(のうぜいのぎむ)
つまり国に税金を納めなければいけないという義務。
- 兵役の義務(へいえきのぎむ)
つまり維新によって出された徴兵令に従わなければならないという義務。
教育の義務は大日本帝国憲法にはさだめられておらず、憲法の下の法律という形で義務化されます。
次に、日本国憲法との違いについてみていきます。
大日本帝国憲法と日本国憲法の違いは?
まずは主権の違い。
- 大日本帝国憲法:天皇
- 日本国憲法:国民
2つ目、天皇の立ち位置も違います。
- 帝国憲法『三権のトップであると同時に、その地位は神聖で侵せない』
- 日本国憲法『国民がまとまっていることの象徴。政治には基本的に口出ししない』
(イギリス国王も帝国憲法の時代から今日まで『君臨すれども統治せず』を貫いたといわれていますが、日本国憲法の天皇はこれに近いでしょう。)
3つ目、国民(帝国憲法では『臣民』)の考え方も違います。
- 日本国憲法:『自由権、参政権、生存権』といった基本的人権は『永久に侵せない』
- 大日本帝国憲法:『自由権、参政権、生存権』といった基本的人権は『法律の範囲内でなら保障』
4つ目は、義務の違い。
- 日本国憲法:『納税、勤労、教育』の3つが義務。
- 大日本帝国憲法:『納税、兵役』の2つが義務。
教育は大日本帝国憲法では義務と表記されず、法律上の義務となっております。
なぜドイツの憲法を参考にしたのか?
大日本帝国憲法は、当時明治政府の参議であった伊藤博文を中心に作られました。
政府の命でヨーロッパに渡った彼は、様々な国の憲法の研究をしましたが、その中でドイツの憲法がいい、という結論に達しました。
これは、先ほど言ったように欧米列強の侵略の対策のほか、イギリスやフランスの様に資本主義経済の歴史が古く商品経済が強いわけでもない、ということがあげられました。
また、フランス革命から続く一連のフランスの変革は王政、帝政共に倒しましたが、その過程で穏健派のロラン夫人、政治とは無関係のはずの化学者ラヴォワジェ(徴税人であったため)といった多くの反対派や旧体制派の人間が、次々に処刑されるという副作用も起こしています。
このような急激な変革は、安定志向の強い日本人には合わず、またイギリスやフランスの人ほど人々が経済力も自立心もないことから、天皇一人が強力なリーダーシップで人々に引っ張ってもらうような憲法が必要だと伊藤は考えたものと思われます。
福沢諭吉も、憲法の発布を受けて
「そもそも西洋諸国に行はるる国会の起源またはその沿革を尋ぬるに、政府と人民相対し、人民の知力ようやく増進して君上の圧制を厭ひ、またこれに抵抗すべき実力を生じ、いやしくも政府をして民心を得さる限りは内治外交ともに意のごとくならざるより、やむを得ずして次第次第に政権を分与したることなれども、今の日本にはかかる人民あることなし
(訳:人民は上からの圧政を嫌い、上に抵抗する実力を持つ必要があるし、政府は人民の意見を聞く器の大きさがないといけない。
この両輪がそろってなければ内政も外交も意のままにならないのだが、政府にも人民にも適当な人間がいない)」
と、人々の精神的な自立と自律を伴わない状態での憲法発布や政治参加に不安を抱いています。
つまり、いつの時代も『上も下も自立・自律』しているかどうかがカギと取れましょう。
まとめ
- 帝国主義の時代の中、欧米列強に対抗するために、個々の自由より国がまとめることを優先させて天皇主権にした。
- 国民の権利は『法律の範囲内で保障されていた』。
- 義務は『納税と兵役』
これが事実と言えましょう。
帝国主義に備えるために。
天皇をトップとしたトップダウン型の憲法が、大日本帝国憲法と言えます。
(現在でもボトムアップ型は責任逃れの裏返しとして批判が少なくなくなっています)
しかし、陸海軍を内閣ではなく天皇一人の下においたことが、昭和に入ってから軍部の暴走を招くことになります。
ちなみに交付前後、人々は明治天皇の『憲法の発布』を『絹布(けんぷ)のハッピをくださる』、つまり高価な絹でできたハッピを天皇が下さると誤解して大騒ぎしたといわれています。
この体たらくを見て自由民権運動活動家の中江兆民(なかえちょうみん)は
「我々に出された憲法がいかなるものか、玉か瓦か、まずその実を見るに及ばずして、まずその名に酔う。国民の愚かなるにして狂なる。何ぞかくのごときなるや。
(訳:憲法がどんなものか中身を見もせずに、それに酔っている国民は何て愚かな。なんでこうなるんだ)」
と嘆いております。
いつの時代も最終的に世の中の良しあしを決める要素は、人々の自立精神。
すなわち怠惰で安きに流されるのではなく(のび太のパパが『水が低いとこ低いとこと流れるのと同じ』と言ってますが)、人々が自分自身のルールで生き、自ら自分を律しようとする精神なのかもしれませんね。