今回ご紹介するのは、江藤新平です。
幕末期から高い能力を評価され、明治政府でも重要な地位に就いた、当時を代表する政治家です。
しかし、とあるきっかけから彼は辞職を余儀なくされ、佐賀の乱を起こし逮捕されてしまいます。
激動の時代を生きた彼の生涯に迫ります。
- 江藤新平の生涯とは。
- 江藤と大久保利通との対立とは。
- 佐賀の乱について。
今回はこうした点について特に詳しく見ていきますので、ぜひご注目ください!
目次
江藤新平の最期と40年の生涯
江藤新平は、幕末期から明治時代にかけての武士です。
西郷隆盛や大久保利通らとともに「維新の十傑」の一人に、また鍋島直正や大隈重信らとともに「佐賀の七賢人」の一人に挙げられる人物です。
佐賀の乱ののちに死刑となったため、40歳という若さでこの世を去りました。
それでは、彼の生涯について、次の章で概説します。
江藤新平とは?
江藤新平は1834年、肥前国佐賀郡(現在の佐賀県佐賀市)に生まれました。
1848年に藩校の弘道館へ入学した彼は成績優秀でしたが、生活が困窮したことからその後枝吉神陽という人物の私塾に学ぶこととなります。
ペリー来航などで日本を取り巻く情勢が変化を見せると、彼は22歳にして開国の必要性を説いた『図海策』を執筆しています。
1862年に脱藩し、帰郷後に永蟄居(無期謹慎)の処分を受けます。
脱藩は本来は死罪に当たるのですが、彼の才能を評価していた鍋島直正により、彼の罪は軽くなったのです。
大政奉還後に彼の蟄居は解かれます。
戊辰戦争中は、江戸を東京と改めるべきことを岩倉具視に献言したほか、旧幕臣を中心とした彰義隊を瓦解させるなど、活躍を見せました。
明治新政府では、フランスの法制度を高く評価したうえで、近代的な国づくりに尽力しています。
文部大輔や司法卿、参議などの数々の要職を歴任する中で、学制の基礎固めや司法制度の整備に貢献したほか、山県有朋や井上馨の汚職事件を激しく追及し、両者を一時辞職に追い込んでいます。
しかし、1873年に征韓論問題から起こった政変で西郷隆盛らとともに下野し、翌年に民撰議院設立建白書に署名して帰郷を決意します。
佐賀に入ると島義勇という人物と会談を行い、その後佐賀征韓党の首領に擁立されます。
そして佐賀の乱が起こりますが、江藤らは激しい抵抗を行うも敗退し、彼は捕らえられました。
江藤は釈明の機会も十分に与えられないまま裁かれ、死刑判決を受けることとなります。
そして、1874年4月13日、死刑は執行されて彼は40歳で亡くなりました。
次に、江藤の残した功績について見ていきます。
江藤新平の功績
江藤新平は幕末期から明治初期にかけて、多くの功績を残しました。
まずは、1868年の東京奠都(江戸が東京と改められ、都と定められたこと)です。
大久保利通らは当初、大坂遷都の案を唱えていましたが、江藤は同じく佐賀藩士の大木喬任とともに、江戸を東京として、この地を拠点に人心を捉えることが大事と考えました。
そして、東西両京の方針は実現したのです。
明治時代になると、彼は近代国家の建設に向けてさらに活躍します。
ひとつに、身分や性別の区別なく、国民皆学を目指した学制の基礎を固めました。
そして、従来の「士農工商」の身分の差異をなくし、四民平等の実現に寄与します。
また、警察制度を整備しました。
これだけ見ても十分な実績なのですが、彼はさらに司法改革も行なっています。
それについては次章で見ていくことにしましょう!
江藤新平の司法改革とは?
1872年に司法省が設置されると、彼は司法卿となりました。
彼はイギリス・フランスを手本とした三権分立の導入を目指し、裁判所の建設や民法・国法の編纂を行いました。
こうした功績から、彼は「近代司法制度の父」とも呼ばれます。
ただ、政府内の保守派は、プロイセンを手本として「行政権=司法権」と考えており、江藤は彼らから激しい非難を受けたり、急速に裁判所の建設を進めようとしたために財政が追いつかなかったりと、いろいろな苦労をしていたようです。
次に、江藤の作った指名手配の制度をご紹介します。
指名手配のシステムの創設者?
江藤は1872年、指名手配の制度として写真手配制度を確立しました。
司法改革の一環として、犯罪者の早期逮捕のシステムを作り上げたかったのでしょう。
しかし皮肉なことに、この制度の最初の適用者は江藤自身だったのです!
佐賀の乱を起こしたことで指名手配された彼は、彼の写真が出回っていたために迅速に逮捕されてしまいました。
前述のように、まともな審議を受けられなかったことから、法を整備した彼自身は、法によっては守られなかったのです。
次の章では、江藤と大久保利通との対立について見ていきます。
大久保利通と対立?
明治政府内で要職を歴任してきた彼ですが、とあることから当時の最高権力者ともいえる大久保利通と対立してしまいます。
それが、征韓論をめぐる論争です。
征韓論とは、武力によって朝鮮を開国させようという首長であり、江藤や西郷隆盛、板垣退助などがこれに賛成していました。
一方の大久保は、日本国内の政治を整えることを優先すべきだとして、征韓論に反対していました。
この意見対立から、結果として江藤ら征韓派は辞職し、下野することとなりました。
この政変は、起きた年から「明治六年政変」と呼ばれます。
そして江藤が佐賀に戻ることとなると、大久保は佐賀討伐のための総帥として、自ら遠征を行う準備を整えるのでした。
次の章では、そこから始まる佐賀の乱について見ていきます。
佐賀の乱
江藤は佐賀に入ると、憂国党というグループを率いる島義勇と会談します。
江藤と島は、1850年に枝吉神陽が結成した「義祭同盟」にともに参加した間柄です。
江藤は佐賀征韓党の首領に擁立され、この征韓党と憂国党とが共同して反乱を計画することとなりました。
そして、江藤が佐賀に入ってからわずか5日後の夜、憂国党が反乱を起こしたことで、佐賀の乱は勃発します。
江藤らは激戦を繰り広げますが、政府軍は野津鎮雄少将自らが先頭に立って活躍するなどし、最終的に政府軍の勝利で幕を下ろしました。
江藤は征韓党を解散して逃亡しましたが、逮捕されました。
次の章では、江藤新平の子孫について見ていこうと思います。
江藤新平の子孫
江藤新平の次男・新作は1863年に生まれました。
衆議院議員を務め、犬養毅の側近として活躍したことで知られています。
新作の子・夏雄も、父と同じく衆議院議員として活動しました。
夏雄の子である小三郎は、社会運動家、陸上自衛官として活躍しましたが、1969年2月11日の建国記念の日に焼身自殺しました。
この行為は、小説家・三島由紀夫の自決にも影響を与えたとされています。
2018年現在ご存命の方として、江藤新平の曾孫にあたる江藤兵部さんがいます。
兵部さんは、航空自衛官として活躍し、航空総隊司令官の地位にまで昇った人物です。
次に、江藤新平の墓についてご紹介します。
江藤新平の墓
江藤新平の墓は、佐賀県佐賀市の本行寺にあります。
彼の正しさを知っていた当時の人々は、彼の墓に押しかけ、そのあまりの多さに政府が彼の墓参りを禁止したと言われています。
墓地は広く、墓石も大きく作られています。
次に、江藤新平を知ることのできる本をご紹介します。
江藤新平を知る本
江藤新平は、明治政府に反旗を翻したとはいえ、その多くの功績から、時代を牽引した人物でもあり、さまざまな捉え方ができます。
彼について書かれた本はいくつもあります。
- 『江藤新平 急進的改革の悲劇』(毛利敏彦、1987年、中央公論新社)
- 『司法卿 江藤新平』(佐木隆三、1998年、文藝春秋)
- 『江藤新平と明治維新』(鈴木鶴子、1989年、朝日新聞社)
- 『歳月』(司馬遼太郎、1971年、講談社)
今回はこのうち『江藤新平と明治維新』『歳月』を取り上げます。
まずは『江藤新平と明治維新』です!
江藤新平と明治維新
『江藤新平と明治維新』は、江藤の実像に迫る作品です。
この作品の特徴は、江藤の血縁者の聞き書きをもとにしているということです。
明治期は大久保利通や西郷隆盛たちばかりが前面に出てきがちですが、この作品を読むことで、江藤がそんな人物たちにも匹敵すると再評価することができるでしょう。
次に、『歳月』について見ていきます!
歳月(司馬遼太郎)
『歳月』は、ノンフィクション作家として有名な司馬遼太郎が、江藤の生涯を描き出した作品です。
栄達を遂げた前半生から、後年佐賀の乱の首謀者として転落してしまった彼を描いたこの作品は、なんと700頁を超える超大作となっています。
まとめ
いかがでしょうか。
それではもう一度、江藤新平について振り返ってみましょう。
1834年に佐賀で生まれた江藤は、生活が貧しい中でも学業で優秀な成績を収め、佐賀藩10代藩主鍋島直正にもその才能が評価されていました。
戊辰戦争中には、江戸を東京と改めることを岩倉具視に献言したほか、旧幕臣を中心として組織された彰義隊を瓦解させるなどの活躍を見せています。
明治政府では、文部大輔や司法卿、参議などの要職を歴任しました。
国民皆学を目指した学制の基礎作りや四民平等の実現、警察制度の整備のほかに、司法改革を行って三権分立の導入を目指しました。
しかし、征韓論をめぐって大久保利通と対立した彼は、明治六年政変によって下野し、佐賀の乱を起こすこととなります。
江藤は奮戦するものの敗れ、逃亡しましたが、彼が政府にいたころ定めた写真手配制度が適用され、すぐに逮捕されてしまいます。
江藤はろくに釈明の機会も与えられないまま死罪の判決を下され、1874年に40歳で亡くなりました。
彼の墓は佐賀県佐賀市の本行寺にあります。
彼の子孫の中には衆議院議員として活躍した人物が複数名おり、江藤兵部さんのように航空自衛官として活躍した方もいます。
江藤新平を知ることのできる本としては、鈴木鶴子著『江藤新平と明治維新』や司馬遼太郎著『歳月』などがあります。
ぜひ一度手に取ってみてください!