今回ご紹介するのは、版籍奉還です。
戊辰戦争が終わり、明治政府は旧幕府勢力を完全に抑えることができました。
しかし、約260年間続いてきた幕府時代の仕組みは依然として残っており、明治政府は改革の必要に迫られていました。
そんな折に行われた版籍奉還は、のちの廃藩置県につながる重大な政策だったのです。
- 版籍奉還とは何?その目的は?
- この政策は成功したのか?
- 版籍奉還が与えた影響とは?
今回はこうした内容に特にスポットを当てています。
ぜひご注目ください!
版籍奉還とは?
版籍奉還とは、全国の藩が所有していた土地と人民を朝廷に返還させた政策で、明治維新の一環として行われました。
「版」は土地を、「籍」は人民をそれぞれ表しています。
これにより、旧藩主はその土地の知藩事に任命され、彼らは公家とともに華族に列せられました。
次の章では、版籍奉還の目的に迫ります!
目的
版籍奉還は、江戸時代の幕藩体制が崩壊したことの要請により行われたと言えます。
徳川幕府が倒れたということは、藩は領地の所有を認めてくれる存在を失い、領地所有の法的正当性がなくなったということです。
また、戊辰戦争において藩主たちは指導力を発揮することができず、その権威を落としていました。
こうして藩全体の権力が低下したことで農民一揆が相次ぎ、多くの藩は財政難に悩まされることとなります。
幕府と藩の主従関係が切れたことによる土地所有の不正確さやこうした財政難を解決するために、版籍奉還は行われたと言えるのです。
次に、この政策が誰の手によって行われたのかについて見ていきます。
誰が行った?
版籍奉還は、明治新政府の複数の人物によって主導されました。
薩長土肥の4藩が版籍奉還について合意にいたったのは、
- 大久保利通(薩摩藩)
- 広沢真臣(長州藩)
- 板垣退助(土佐藩)
の話し合いによるものであり、彼らが版籍奉還を推進したと言えます。
実際にはそれ以前から版籍奉還を進めるべきという声は上がっており、少しずつ実行されていたのです。
本格的な版籍奉還が実施される1年ほど前に、薩摩藩の寺島宗則は藩主の島津忠義に対して、土地と人民を返還するよう求める建白書を提出しており、実際に島津忠義は10万石を返還していました。
このほかにも、木戸孝允も版籍奉還の必要を唱えていたようです。
次の章では、版籍奉還は成功したのかどうか、検証していこうと思います!
政策は成功?失敗?
版籍奉還は藩主の権限を大幅に削ったように見えますが、この政策は見事に成功しました。
結果として大きな反発が起きずに、目的を遂げることができたからです。
ここでのポイントは、主に2つあります。
まずは、藩主たちの勘違いです。
薩長土肥の藩主たちは、いずれは戊辰戦争での恩賞により石高を増やしてもらえるという見込みをしていたため、あまり臆せず版籍奉還に応じました。
その他の藩も、返還した人民や土地は明治政府から再交付されるだろうと誤解していたようなのです。
次にポイントとなったのは、明治政府が工夫を凝らしたことです。
人民と土地が朝廷へ返還されたことで、武士道に基づく主従関係はよじれることとなってしまうと思われましたが、明治政府は版籍奉還の異議を曖昧な表現を用いてうまくぼかします。
また、戊辰戦争の恩賞について言及することで、各藩の藩主や藩士をなだめることにも成功しました。
こうした事情により、版籍奉還はスムーズに遂行されたのです。
次に、版籍奉還と廃藩置県の違いについて見ていきます。
版籍奉還、廃藩置県の違いは?
版籍奉還は、土地と人民を朝廷に返還する政策でしたね。
一方の廃藩置県は、藩を廃止して府と県を設置することで、地方の統治を完全に中央管下に置くという政策です。
版籍奉還後も、各大名は旧所領の知藩事に任命されており、その土地を事実上統治していました。
廃藩置県により知藩事は失職することとなり、旧体制は完全に改革されたと言えます。
版籍奉還は廃藩置県を準備した、と言うこともできるでしょう。
次の章では、版籍奉還が与えた影響について見ていこうと思います。
その後の影響
版籍奉還により、どのような影響が出たのでしょうか。
前述のように、版籍奉還そのものはスムーズに行われ、成功したわけですが、財政難はまだ引き続き起こることとなりました。
藩はあくまでも知藩事が統治に当たっており、明治政府の直轄地は全国の4分の1ほどであったため、明治政府が財政難から抜けられないのです。
その一方、のちの廃藩置県を円滑に進める布石を打つことができたのも事実です。
版籍奉還において、藩主たちは知藩事の任命権を自発的に天皇に奉還していました。
この経緯があったため、旧藩主たちは廃藩置県の際にも、明治政府に抵抗することが論理的に難しくなっていたのです。
自らの処遇を新政府側に自ら預けてしまったのですから、どうされても何も言えなくなってしまった、ということですね。
まとめ
それでは、もう一度版籍奉還について振り返ってみましょう。
版籍奉還は、明治維新の一環として行われた政治政策であり、全国の藩の持っていた土地と人民を朝廷に返還させるものでした。
この時、藩主は知藩事に任命され、華族に列せられます。
これは、幕府が倒れたことによる土地所有の不正確さと藩の財政難から採られた政策でした。
この政策を主導したのは、大久保利通・広沢真臣・板垣退助ら明治政府の有力者たちです。
この政策は、各藩藩主の思い違いや、明治政府の巧みな手腕によってスムーズに行われたという点で、成功したと言えるでしょう。
また、藩主たちが知藩事の任命権を自ら天皇に委ねたことが、のちの廃藩置県において明治政府に抵抗しづらくなる根拠となりました。
一方、版籍奉還のあとも全国の土地のなかで明治政府の直轄領の占める割合は低く、明治政府の財政難は依然として存在することとなりました。
のちに行われた廃藩置県では、知藩事が解任されて旧体制は完全に解体することとなりました。
廃藩置県は、明治維新の改革の中で最も重大なものの一つであり、版籍奉還がその前提として大きな役割を果たしていたことがお分かりいただけたかと思います!